手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
ろうあ者の権利として必ず通訳者を
落合
ろうあ者でも筆談ができる人はほととんど通訳がつけかない。
ろうあ者の権利として必ず通訳者をつけるように要求することだ。
あの通訳者はずるいと言われるが
上森(東京)
選挙の通訳の時は政党に関係ある人がする場合は自分の支持する政党の時には良くするが反対の政党の時は良く通訳をしない。
あの通訳者はズルイ、等といわれますがそんなことをするのはむずかしい。
司会者
通訳者の位置づけの問題で現在は通訳料も定まっていない。
通訳者の生活も保障すべきだと思う。
又通訳をする上で専門語に強い人が必要です。
今後又話し合ってこの問題を解決して行きたいと思います。では今日はこれで終ります。
手話法と口話をめぐる意見と討論
司会者
次に口話法と手話法について話し合いたいと思います。
伊東
ろう学校では口話法で、卒業すれば手話法でするという問題があって手話活動をする人とろう学校の先生等に問題の食いちがいがあってやりにくいと思います。
口話法でも手話法でも
言語を獲得することが基本
口話法と手話法は決して矛盾するものではないと思う。
口話法でも手話法でも言語を獲得することが基本であって音声言語を獲得する方法として今は口話法を使っている訳です。
口話法で日本語の音声言語を獲得すればあとは手話法でやっても非常に便利であるし何んら矛盾を感じない。
栃木県の同時法
聴能と口話と手話と指文字を
一緒にして日本語を豊かに
栃木県では同時法をやっている。これは聴能と口話と手話と指文字とを一緒にして日本語をもっと豊かに子供達に教えて行こうとする考え方です。
口話法で言語を覚えるんだと、言語を獲得させる方法として口話法がある。
口話法が効果的であると実証
口話法を教えるのではなくて、口話法で日本語を教えるんだということです。
日本語を獲得することによって今の方法では口話法、手話法、同時法があってその中で口話法が効果的であると実証されておる。
早期教育で小学校入学時に
聞こえる子どもと
同じ言葉を覚えている
教育の方法として最近は補聴器の発達にともなって90デシベル位までは補聴器を使っての聴能教育は非常に大きな役割をはたしている。
早期教育を受けると小学校に入学する頃にはほぼ耳の聞える子供達と同じ位の言葉の数を覚えるととができる。
二才~三才位から始めて六才位までは四千~五千位の言葉を獲得し、五千位の語りを覚えていれば日本語でしゃべり読むことができるわけです。
京都ろう学校で各教師が研究し論述したことの断片的な組合せを述べて
ここで伊東雋祐氏は、早期教育の現状と補聴器の活用、などなど述べる。
この意見は、当時京都ろう学校で各教師が研究し、論述していたことの断片的な組合せを述べているにすぎない事で、伊東雋祐氏の意見ではないことを明らかにしておきたい。
例えば、補聴器の発達にともなって90デシベル位までは補聴器を使っての聴能教育は非常に大きな役割をはたしている、というのは京都ろう学校聴能室の実践的・実証的文章を一部拝借した報告である。
京都ろう学校聴能室の実践的・実証的から90デシベル以上(当時JISの聴力基準、現在は国際基準)、すなわち聴力測定ではほとんど聞こえないとされていた子どもたちが、補聴器をつける事で「聞き取り検査」などで90以上の聞き取りが出来るなど補聴器の使用効果を明らかにしたものである。
さらにこの結果は、すべての聴覚障害児にあてはまる事ではないと京都ろう学校聴能室では明言していた。
早期教育を受けると小学校に入学する頃にはほぼ耳の聞える子供達と同じ位の言葉の数を覚える、と言うのは、京都ろう学校幼稚部の教師たちが主張していたことを伊東雋祐氏は、無批判的に受け入れている。
選別された幼稚部の子どもの一部を引き合いに、京都ろう学校幼稚部の教師たちがさかんに主張していた事をも伊東雋祐氏は、無批判的に受け入れ、ろう学校の教育の進捗がここまですすんできたのかのように聞くものを信じさせるように述べているが幼稚部の教師たちがさかんに主張したことと実際には乖離があることを述べようとしていない。
伊東雋祐氏の発言は、それぞれの一部を強調するだけで、全容を述べていない。そのため発言のひとつひとつを関連づけて調べると相反する矛盾が多すぎた。
伊東雋祐氏は充分検証しないで、日本語を獲得することによって今の方法では口話法、手話法、同時法があってその中で口話法が効果的であると実証されておる、と並列して述べている。
伊東雋祐氏は、今日では手話や手話通訳を極めて通じた人と信じられている。
ろう学校教師としての伊東雋祐氏は自らの仕事場であるろう学校で口話・聴能・手話・トータルコミュニケーションを教育実践的にすすめ検証するなどのことはなかった。