手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
月日が流れて私は教師になり。教職員組合の役員を一時期していた時のことである。
ある日、ろう学校のCさんが教員採用試験一次、二次、そして面接まですすんできたのに2度も不合格になっている。
今度は三度目の採用試験になっているが、本人は希望を失っているという話が私のところに舞い込んできた。
教員採用試験不合格本人も疑問を持ち
ろうあ者差別で不採用になった
と言われていたが
早速、Cさんに会った。
Cさんは小企業で働き、夜は高校の夜間定時制に通い、通信教育で美大を卒業して教員免許を取得していた。そして、京都府立ろう学校の実習助手をしながら、教員採用試験を受けていたのだった。
二度にわたる教員採用試験の不合格。本人も疑問を持ち、ろう学校でいわゆるろう教師と言われる人々がさかんに、ろうあ者差別で不採用になった、と言い、他の先生も同調していたと言う。
君に相談しただけでも
もう採用は不可能になる
教職員組合の役員をしていた私は、そのようなことをナゼ知らせてくれなかったのか、と聞いた。
するとCさんは、教職員組合と府教委はかっての京都府政や府教委の時代ではなくなった。
教職員組合と府教委は「対立関係」にあり、特に今はひどい状況である。そんな時に、君に相談しただけでももう採用は不可能になると思うし、みんなもそう言うので黙っていたと言う。
Cさんの言うことは、分からないことはないが、教職員組合は教職員の要求を取り上げて、その実現のために奮闘している。
また教職員の要求だけではなく広く教育問題も取り上げているのであって、府教委と対立するために行動しているわけではないのは充分承知しているのでは、と話した。
Cさんは、それはわかるがそれでも採用してもらうためには、君と知り合いであることは隠しておかないといけないと思うし、ろう学校の教師の多くも同じように言う、と話してきた。
正当で公正ならば
必ずCさんの採用は実現する、と
そこで、ろうあ協会と共に行政と交渉をした苦労や「水をかけられたような惨い仕打ち」を共にしてきたことを話し合い、正当で公正ならば必ずCさんの採用は実現する、と話した。
同時に、Cさんが二度にわたって受けた教員採用試験で面接まですすみ、不合格になったのはあなただけで、それも二回という例はないことを調べてきたことを告げた。
Cさんは、考えると言って、共に行動しようとは言ってくれなかった。