手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
知恵遅れがあるから
ことばを覚えることは無理なんです
ろうあセンターに相談に来たお母さんの話をろう学校幼稚部の先生にすると、
「ああ、あの子ね。聴覚だけではなく知恵遅れがあるからことばを覚えることは無理なんです。教えても、ことばは覚えられないでしょうね。」
とサバサバした調子で断定的に言われた。
インテグレーション、ノーマル、ことば
私は、この時、お母さん以上の疑問をその先生達に抱いた。
インテグレーション、ノーマル、ことば、書き、普通……連発して飛び出すことばへの疑問と学習は、私の人生のテーマになった。
いとも簡単に成人したろうあ者の姿を否定し、新しい普通児を造る。
そんなに人間は、造形物のように造ったり、壊したり、造り直したり、造ったものを否定されていいのだろうか。
帰って、ろうあ者にどう説明したらいいのか。悩み続けた。
「マア、マア」という手話が飛び交うのか。足は前に踏み出そうとしなかった。
1969年のことだった。
ハンナ・アーレントの
インテグレーションへの論考から考えると
最近、ハンナ・アーレントが、アメリカ南部でおきたリトルロック事件のことを書いている本を読んだ。
このハンナ・アーレントの論考を当時知っていれば、「普通校にインテグレトすることはすでに大きな成果を上げている」という問題についてもっと違った批判と方向が出来ていたとおもえてならない。
黒人を白人の学校に入れるという意味で使われ日本ではろう学校などの教育に機械的に導入されてきたインテグレーションの問題。
現在カタカナ文字で表記が導入されて、それが横行している教育についても数多くの問題を指摘してている。