手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
激しい言い争いの後、福祉事務所は担当ケースワーカーの言い方では、正しくないと判断したのだろう。
Eさんの「当座の生活と治療費」は福祉事務所から支払われることになった。
お母さんからぜひ会いたいという連絡が来た。
しわだらけの
大切にしていた札を
お母さんは家の近くの喫茶店をとの連絡だったのっでそこで会うと、もじもじして何も言わない。
時間ばかりが過ぎていった。
が、意を決したのか、お母さんはしわだらけになった大切にしていた数万のお金を手渡たそうとしてきた。
お礼です、とお母さん。
それはじり貧の中でためにためてきた生きる上で欠かすことの出来ない重要なお金の一部だったことは一目瞭然だった。
それを裂いてまでお母さんはお礼をしようと。
生きにくくされている社会
純に生きる人がいる
お母さんが極貧の中でも純で素朴な気持ちを持ち続けた気持ちが伝わったが、それを断るのに苦労したのは言うまでもない。
ろうあ者もその家族も弱い立場に置かれれば置かれるほど、生きにくくされている社会の仕組みを知らされても、それでも純に生きる人がいる、ことも知らされた。
手話通訳者としては~しなければいけない、という細則が今日よく言われる。
だがそれは服装であったり手話の方法などが多い。
それ以前に人間として、人々が裏切られることのない真心が通じ合うようにしなければならないと思い続ける。
形式的で時間さえ済ませばいい
手話通訳の仕事ではない
という手話通訳者でいて欲しくないと
福祉事務所のケースワーカーと言い争いになった部分だけで、それは手話通訳の仕事でない、と言う人々もいた。
だが人間だからこそ人間としての尊厳を守り抜くために連帯する前提なしに、だだ単に手話通訳しましたよ、ではさようなら、であっていいとは思えない。
しわくちゃになった札を握りしめて何度もお礼を言うお母さんは、形式的で時間さえ済ませばいい、これは手話通訳の仕事ではない、という手話通訳者でいて欲しくないというメッセージであったと思う。