手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
当時のろうあ者が次の世代やろうあ者だけのことではなく障害者全体のこと、全体のことをを考えもがき苦しんでいたのか。
そして文字は、自分たちの気持ちや要求を表現するのだと言ったことを知ったろうあ者の読み書きの獲得の時間。
さらに連日深夜の論議を経たビラの作成。この論議には、書き切れない多くのことがある。
先天性ろうあ
ろうあは遺伝するもの多くの人は思い込み
ろうあ者自身もそう思い込んで
先天性ろうあ、身体障害者手帳に大きく書かれた障害名。
先天性ろうあは遺伝するものと多くの人は思い込み、ろうあ者自身もそう思い込んでいる人も少なくなかった。
耳鼻科医を呼んで学習した時に、心ある耳鼻科医は先天性とは生まれつきという意味で遺伝性の聴覚障害ではないと説明しつつもその名称が「適切」であるとは思えない、とも言った。
身体障害者交付の条件には、さまざまな制約や条件が課せられていたこともあり身体障害者手帳を交付されない限りいくつかの福祉制度が受けられない。
だが、この身体障害の規定は障害年金や労働災害補償の年金の規定とも異なっていた。
そんな中、先天性ろうということばは多くの誤解を生みだしていた。
ここで記録しておかなければならないのは、身体障害者手帳は、交付申請を受けて各都道府県・政令指定都市の審査(専門医も含む)などを経て交付されていたいたのでこれらの名称は、国や各都道府県・政令指定都市の責任は決して免れられない。
その問題を問わずして、ろうあ者やその家族や周辺の人々に責めを求めるのは誤っていると断じざるを得ない。
ろうあ者同士の結婚は、それでなくとも多くの反対もあったが輪をかけて遺伝性の問題が反対に拍車をかけた。
どんなに結婚したく思っていても、聞こえないこと、遺伝の問題は大きな壁として携わってきた。
京都のある企業が
ベビーシグナルとして
開発して売り出した背景
子どもが産まれたどのように育てるのか、赤ちゃんが泣いても解らないではないか、育てる知識も能力もないではないか、産まれる子どもたちがかわいそうだ、などなどあらゆることが列挙されてろうあ者に突きつけられていた。
産まれた赤ちゃんが泣いた時、この問題を京都のある企業がベビーシグナルとして開発して売り出した。
その背景には、その企業で働くろうあ者と働く人々の友情があったが、製品は高価なものであった。
宇治市にろうあ者が、赤ちゃんを産んだらベビーシグナルを交付して欲しいという要求が出された。
宇治市は全国の自治体にベビーシグナルを交付しているかどうかを照会状を出した。だが、すべての自治体では交付されていなかった。
だが、それでもろうあ協会の要求は引き下げることはなかった。
ベビーシグナルの交付
結果的に、ベビーシグナルは交付されることとなった。ベビーシグナル、と言っても今はほとんど知る人はいないだろう。
だが、子どもが産まれたどのように育てるのか、などの答えをろうあ協会の要求運動の中で答えを導き出して来たことを忘れてはならないだろう。
第一歩は、二歩でもあり、三歩でもあり、歩み続けることでもあった。