ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
ナゼ日本では 先生は95%以上話すだけ
指文字ではない手話。あなたと学んだ手話は、音声言語を逐一表現する(文字を読むようにする)ことがないため、相手の言いたいことを理解したり、あいづちをうったり、話に入り込んだり、自分の話題に相手を取り込んだりする時間的余裕が出来て、指文字より読みとる時間がはるかに少なくてすむ点では「無駄」がないでしょう。
ここで言っておきたいのは、音声の会話でもそれは可能なことですが。
すべてを聞いて、それに対して言い、ということが習慣化している人は、あいづちをうったり、話に入り込んだり、自分の話題に相手を取り込んだりすることが出来ない人が多いようにも思えます。
遙か昔にドイツから留学に来て、高校の授業を見たドイツの先生が、
「ナゼ日本では、先生は95%以上話すだけで、生徒が話さないのですか。」
という感想を出されていました。
「答えは一つだけにして欲しい」
という生徒の意見
よく考えてみると、みんなで話をして、意見交換する、そしてお互いの意見の一致を見いだしたり、意見の違いを尊重し合うという事が学校教育の場でほとんどない。
先生が、このことについて、こういう考えやああいう考えや全然違う考えや‥‥‥と説明すると「答えは一つだけにして欲しい」という生徒の意見が出てくる。
テストの正解は、いつもひとつ。
仮定的な発想は、なかなか育ちにくい状況があると思う。
どれかひとつにして ややこしい
混乱すると言っていたのに
あなたに手話を教えている時に、
「あなたの言いたいことは、この手話、こんな手話で現される。この手話にはこんな意味があり、あの手話にはこういう意味がある。あなたの言いたいこと、気持ちにピッタリな手話は」
と聞いたら、
どれかひとつにして、ややこしい、混乱する、
と最初の頃はよく言っていたね。
次第にもっともっとチガウ手話はないの、と聞いたりしてきたことは今も忘れられません。
手話を見ている時 少しうなずいたり
深くうなずいたり 首を振ったり
おかしいと手話でしたり
手をあげて ストップの手話や身振り
もちろん、手話もその場の状況でさまざまに意味内容が変わる特徴を持っていますが、それを熟した上で「 聞き上手は、話し上手」ということわざも理解しておいて下さい。
聞き上手というのは、相手の話を一方的によく聞くということではないですね。
相手の話に合わせて、あいずちをうったり、うなづいたり。
また、自分と違う意見を言っていてもすべて反対と言わない、自分の意見を押しつけたりはしませんね。
あなたが、手話を見ている時に、少しうなずいたり、深くうなずいたり、首を振ったり、おかしいと手話でしたり、何度もしたり、手をあげたり、ストップの手話や身振りをしたのもあいずちを打つことでした。
あなたは、話し合いをしている時の様子を今でも覚えています。