ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
「自己表現」することが「ひとつ」しかない
いくつも表す手話なんて、おかしい、とまで言いましたね。
でも、そういうあなたの中に「自己表現」することが「ひとつ」しかないという「受け身のコミュニケーション」を見いだしていたのです。
思い出してください。
ナニナニしました。ナニナニでした。
と繰り返していたあなた自身を。
「悲しい」ということば以外に
「悲しい」ことを表現
いまでこそ、「あ、そうそう」という話し方をするあなたでしたが、当時は「あああ そうでした。」と「です」「ます」調ではなすことが身体の芯まで染み通っていたあなたは居ませんでしたか。
「悲しい」「うれしい」「苦しい」と言えても、「悲しい」ということば以外に「悲しい」ことを表現してはなせる力はあったでしょうか。
手話による
「人間性回復のコミュニケーション」
ナニナニして、ナニナニして、ナニナニして、悲しかったです。
とはなしていましたが、順番に言ってから、悲しい、と言わなければならないということに「拘りさせられている」あなた。
手話で「受け身のコミュニケーション」から「人間性回復のコミュニケーション」を身につけるようにとの想いでした。
瞳の輝きと「私の気持ちにピッタリ」
散々迷ったあげく、「あ、この手話ですると私の気持ちとピッタリ」と言ったあなた。瞳が輝いていました。
眼は、限りない表現者でもあります。
それから、「どうもこのこれは私の気持ちではない」と、あなたは「言い表すこと」「手話で表すこと」への「戸惑い」を持ち、「戸惑い」の最初はとても時間がかかったけれど、どんどんと「戸惑い」の時間は短くなっていきましたね。
「手話」はあなたのものでもある
「受け身の手話」ではなく、「手話」はあなたのものでもあることも知って欲しかったのです。
今なら、分かってくれるのではないかと思いますが。