ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
本当に言いたいことを手話で表現が出来る
あなたは、「受け身の手話」ではなく、「手話」はあなたのものでもあることも理解して、あなたの本当に言いたいことを手話で表現が出来るようになってきていますね。
人間の成長も手話を覚え駆使することも、螺旋階段を昇るように少しずつ「成長」していきます。
螺旋階段を昇るように成長する 少しづつ
螺旋階段の上に「登り切ったと思う人」が、下の螺旋階段を昇っている人を見ると「同じ処をぐるぐる回っているだけだ」と思ったり、決めつけたりすることがあります。
たしかに螺旋階段が大きければ大きいほど、「自分は同じ処をぐるぐる回っているだけ」と思えたりします。
でも、ぐるぐる回っていて同じ階段に居ると思っていても、少しづつ昇っているのです。
少しづつ。
昇れずに留まった人は、横の廊下を歩けば、一つ下の階とは違う世界が拡がるのです。
自分が昇って居ることに気づかない
同じ処をぐるぐる回っているように思い
同じ処をぐるぐる回っているように思いながら、自分が昇って居ることに気づかないことが多いものです。
あえて言うなら、螺旋階段の上に「登り切ったと思う人」はまだその上にある螺旋階段を見ようとはしていないのです。
手話を学ぶ時も同じことが言えるでしょう。
「ああいうのは手話でありません」と言う人は
螺旋階段の上に「登り切ったと思う人」は、あなたの友人は必死になって新年会のすべて指文字で伝え、あなたも目を皿のようにしてそれを見ていることを「ああいうのは手話でありません」「指文字でするより手話をしなさい」と言ったりするんじゃないかと思います。
あなたも、あなたの友人もそのことで一時期悩むかも知れません。
でもそれは、ゆっくり回り道をしながら指文字でなんとかあなたにみんなの話していることを伝えながら手話を覚えようとするあなたの友人を、「貶める」以外のなにものでも無いのです。
手話や手話通訳の頂点はありません
手話や手話通訳の頂点はありません。
一定の階段を上り詰めた、一定の階段に居るだけで、螺旋階段は天まで伸びています。
だから、ベテランの手話通訳であっても、最高の手話通訳とか、トップレベルの手話通訳とはなり得ないのです。
分からないと言えない手話通訳
教えてと言えない手話通訳
手話通訳者の中で高く評価される手話通訳の人が、ろうあ者のかたがたの手話ではなしていることがわからず、分からないと言えないので適当に通訳したかのようにはなしを伝えたり、ろうあ者の手話を適切なことばにあてはめないで、自分のことばではなすことがありました。
最高の手話通訳とか、トップレベルの手話通訳とはなり得ない、居ない、と私は考えています。
ろうあ者のかたがたの手話ではなしていることがわからず、分からないと言えない、こと事態が手話通訳する資格はないと思いました。
手話ではなしていることが分からないと言い、聞いて教えてもらう事が出来ないのです。
このことは、基本的人権を尊重していることでないと思うのですが。あなたはどのような考えでしょうか。