村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
手話通訳の保障はろうあ者の権利
日本に住む人々の権利権利と分かち難い関係
村上中正氏は、手話通訳の保障はろうあ者の権利・聴覚障害者の権利・障害者の権利・日本に住む人々の権利と分かち難い関係にあると思考していた。
基本的人権を守る手話通訳と提起
村上中正氏の1971年試論では、
警察、検察、裁判所の三カ所の手話通訳が、同一人物だったらろうあ者が「自供を覆す」ことが出来ないという心理状況に追い込まれて「黙秘権」の持つ本来の意味が失われる。
などなど基本的人権に関わる重要なことと手話通訳の役割の話だった。
通訳団会議のメンバーは、さまざまな仕事に就いていたこともあっていろいろな意見が出た。
と、村上中正氏が「問題はろうあ者の基本的人権を守る、黙秘権もそのことと関連しているのだから。基本的人権を守る手話通訳ということから話をしたら」と言った。
みんなはその言葉に納得して、黙秘権の通告の手話通訳のさまざまなパターンと踏み外してはいけない原則、警察、検察、裁判所へ同一人物が手話通訳として呼ぶことのないようにという要請文が出来上がった。と書かれている。
ろうあ者の基本的人権を守る手話通訳
を提起したろう学校の教師
ろうあ者の基本的人権を守る、黙秘権もそのことと関連しているのだから。基本的人権を守る手話通訳を提起したのは、他ならぬろう学校中学部の教師だった。
基本的人権を守る手話通訳とは具体的にどのようなことを言うのか、1967年頃から盛んに手話通訳団会議で論議されていたようである。
基本的人権を守る手話通訳と言うことが語られ、全国に提起するまでの論議は今日ではほとんど知られていないだろう。
ましてや「基本的人権を守る手話通訳」という言葉さえも見当たらないように思われる。
基本的人権を守る手話通訳のために書面で、警察、検察、裁判所へ同一人物が手話通訳として依頼されることのないように申し入れられたことは現代においても注視しなければならないことではないか。
手話通訳の内容をすべて文には不可能
それを強要する背景と
手話通訳の専門性
手話通訳をおこなった場合、手話通訳の内容をすべて文にて報告する、それは当然のこと、と手話通訳配置を決める「責任者」が「主張」し、それが専門職としての務めであるかのようにまで広められている。
だが、手話通訳は、「通訳」ということに徹しているため手話通訳の全容を文で表すことは不可能である。
が、手話通訳配置を決める「責任者」はそうすべきであり、それが専門性の任務とするならば、その「責任者」は1時間の話を聞けば「1時間のすべてを文として記録出来る」と主張しているのと同じことになる。
そこには「超能力」を求める無体な空論が横たわる。
そればかりか、文にされることによって手話通訳をもとめた人々のプライバシーを踏みにじっていることすら考えていない。
基本的人権を守る手話通訳は、過去の問題とされているところに深刻な問題が横たわっている。
基本的的人権を守る手話通訳の
基礎が損なわれてきている
警察、検察、裁判所へ「同一人物が手話通訳として依頼」されないようにするということと基本的人権を守るという関連の基礎知識が、損なわれてきているのは憂慮すべきことだろう。