村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
ろう学校の教師が、誠実に手話通訳を行なったとしてもろうあ者が黙秘権を行使するためには多くの問題があると村上中正氏は提起している。
現存する資料を読むと、彼の提起には汲みつくせない深い思考があるように思える。
ろう学校の先生なら
問題はなかろうとする警察
1960年代、警察は、ろうあ者の取り調べにろう学校の教師をしばしば呼んでいたようである。
その内容は、手話通訳というよりも「ろう学校の先生なら問題はなかろう」とする警察の考えがあったらしい。
ろう学校の教師も警察からの依頼があったとして、自己の存在とろう学校の役割を評価されたとしていたようである。誠実に対応したろう学校の教師も少なからず居たが、村上中正氏はそれでも、問題であるとした。
警察の呼ばれて「手話通訳」をした
ろう学校の教師の感情的怒り
警察が、何故ろう学校の教師を取り調べに呼ぶのか。
手話通訳を認めて公正にするということではなく、ろうあ者にはやく罪を認めさせて取り調べ時間を簡素化しようとしているのではないか。
それはえん罪を増やすだけでなくろうあ者の諸権利を踏みにじることが背景にあるとした。
このことで、警察の呼ばれて「手話通訳」をしていたろう学校の教師は感情的怒りを示したらしい。
それでも、村上中正氏は怯まなかった。
手話通訳出来るのはろう学校の教師しかいないとする抗議に対しても、ろう学校の教師だから手話通訳出来るとするのは「自惚れ」であるとも言い切っている。
ろう学校の教師がよく知っていることと
理解していることとは異なる
1960年代の京都。手話を学び、手話通訳ができる人々が徐々に増えてきていた。
その事実をろう学校の教師が認めないことに問題があるが、それだけでないと主張している。
ろう学校に入学する生徒、卒業した生徒は多くはない。
生徒や卒業生のことは、ろう学校の教師はよく知っていることになる。
だが、知っていることと理解していることとは異なる。
慎重にすべきと。
よく知っている卒業生が、警察で取り調べを受けていて、そこにろう学校の教師が行くとどうなるのかを考えるべきだと村上中正氏は主張している。