communion of mind with mind
笑顔で頷くことへの多くの人の笑顔の返事について、ろうあ協会の人に聞いてみた。
山本正さんの気持ちはとてもよく解る。
あの人は、ろう学校や学校に行けず、読み書きも出来ないけれど、まったくわからない状況の中で生きることの言うに言えない沈んだ気持ち、沈み込んだ気持ちは私たちの毎日と同じ。
仕事に行っても仕事場のひとが言っていることがまったくわからず、ただ目をあちこちに動かすだけの毎日。
少しでもわかることがあったらなあ、と思うが、全くない日々が延々と続く。
山本正さんは、ひとが言っていることがまったくわからないのではなく、わからないままで生きてきたのかも。
何もかもわからない状況にいると、それがあたりまえの生活になる。
仕事に行っても仕事場のひとが言っていることがまったくわからず、ただ目をあちこちに動かすだけの毎日の中で、ある日、つまずいたときに笑ってしまったら、仕事場の人も笑っていた。それは、私と共感した笑い。
私の動作を軽蔑した笑いでなかったとはハッキリわかった。
表情からその人の気持ちを読み取るのは、まったくわからず、ただ目をあちこちに動かすだけの毎日だからこそとても敏感になるのかも知れない。
つまずいて笑う私に笑って仕事場のひとが手を差し伸べてくれた。
ああ、
私は仕事場のひととこころを通わせることが出来る、ととても嬉しかった。それからのこと、私の仕事場に来てくれればわかる。
山本正さんが、笑顔を返してくれたとき、私がこころを通わせることが出来る、と思えたことと同じではないかなぁと思った。
他の人もそのようなことを言っていた。
孤独、孤立しているという思いが、ひととこころを通わせることが出来るようだと、山本正さんなりに感じたのではないかしらと思う。
表情、眼の動き、眼が語ることにとても敏感なの私たちは。
truth
こころを通わせることとそのメッセージは、その場の状況、動きと表情そして眼の動きで知ることがある。
聞えないという状況の中では、その場の状況、人びとの動きと表情そして眼の動きを微細に知ることがある。
そこにある人間同士の交流を知ることで次第に交流は広がり、深まる。