communion of mind with mind
聞えないという状況の中では、その場の状況、人びとの動きと表情そして眼の動きを微細に知ることがある。
そして、そこにある人間同士の交流を知ると述べた。
聞えないという状況の中で人びとの動きと表情そして眼の動きを微細に知る、ことで聞えない状況の中で「会話」を促進するのは視覚あることを留意し続けて考えてみた。
山本正さんは、ろうあ協会の集まりに来ても、他の人が何をしているのかも分からなかったらしい、それが手話でのはなしであることも。
ところが次第にろうあ協会の手話を自分なりに「同じよう」にしようとし出した。
回りにいた人は、目を輝かして「それは こうするのよ」と山本正さんに教えた。
山本正さんは、なかなか「同じ手話」が出来なかったけれど、「よく似た手話」をするようになった。
そこにいた人は、みんな笑顔で拍手をした。
山本正さんも笑顔で拍手して、笑顔と拍手をみんなに「返した」。
あの笑顔と拍手は、ろうあ協会のみんなに対する喜び(お礼?)の拍手と自分の喜びと拍手だったに違いないとろうあ協会の人は言っていた。
その手話は、「そうそう」「同じ」「一致」という手話で右手と左手の親指と人差し指を付ける手話だった。
これとあれと同じ(一緒・一致)、これとあれは同じ(同じだから一緒、一致、)などとどんどんと変化させることの手話で、手話の対話ではとても大切な手話であることを教わった。
ろうあ協会の会合では、さまざまな意見が出されたが、次第に話がまとまってくると、あなたの意見と私の意見は「同じ」、二人の意見に「同じ(一致・賛成)」などで多く使われていた。
山本正さんは、みんなの手話を見ていて「同じ」の手話が多いことを見ていたのだろうか、漠然とだったのだろうか、「同じ」の手話を表現することが出来るようになったようである。
ろうあ協会の参加者は、「同じ」の手話が出来ると手話がどんどん覚えられて、この手話は何を表しているのか分かるようになる。
もっと覚えると今度は「ちがう」の手話を知るようになると私たちとの話は充分出来るようになる。
手話の「同じ」は、ヘレンケラーが外界との糸口を解く{鍵}になったでしょ、とも言われた、
手話の手引き 京都ろうあセンター手話講座より引用
truth
ろうあ協会の人びとが頻繁に使っていた手話(同じ)を穫り入れようとする中で表出された手話同じが、内面にあるこころを他の人びと結ぶ「鍵」として現れる。
人差し指と親指を付ける動きが、左右(二つ)の手で表現されることからはじまる限定なき表現への転化。
二動作による手話の組合せは制限なき表現を産むが、異なった動きの二動作は、さらに会話の領域も手話表現も質的に変化させることになるという示唆が提起された。