手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

  聾 ろう ろうあ 聴覚障害などの表記について

 

       communion of mind with mind

 

 まず最初に、「聾」について、龍+耳で構成されているが、龍にこもる、たちこめるという意味から形成されてきているが、「こもる」「たちこめる」ことから「ハッキリとではないが」「ぼんやりと聞こえる」という意味をも含んでいて、全く聞こえない、という意味ではないと考えている。

 

 このことについては諸説あるが、聾学校や聾者の理解としては全く聞こえないということだけでないと理解している。

 

 さらに平安時代頃の文献から「聾」は、「聴こうとしない」人を戒める文字として使用されていることもある。

 

 すなわち、聾と書いてるが「全く聞こえない人」「音声言語を全く発せない」という人の意味で使われたのではなく、聞える人が聞えているのに聴こうとしない意味で使われている。

 

 そのため以降の文のなかで、ろうあ者と書いても必ずしも「全く聞こえない人」「音声言語を全く発せない」という意味で使わない場合もある。


 近年、ろうあ協会と言わないで、聴覚障害者協会というようになってきているが、それはそれで、難聴者との対立関係を解消する意味で大切なことだと考えている。

 

 このことに対する異論があると思うがその時々の人の言った・使われた表記に合わせて述べてゆきたい。

 

 手話が聞こえる人々に受けとめられず、ごく一部の人々が手話を学び、手話通訳をしていた時代のことを引用して考えて行く。