communion of mind with mind
どんなに貧しくてもしあわせは、今にあると、言う加谷さんには悩みがあった。
信頼関係が、増すにつれて少し浮かない表情をする時があった。
どれくらいの月日が経ったのかと記憶が薄れるぐらいの時のことだった。
加谷さんは
「息子が勉強しないで遊んでばかり困る」
と言う。
織機が占領し、その隙間で暮らす、その隙まで親子三人が寝泊まりしているが、夫婦は交代で二四時間織機に付きっきりである。
子どもへの愛情を注いでいても一緒にどこかに出かけたり、ゆっくり時間をかけて話し合う暇もない。
思春期から青年期になる時期の繊細で複雑で、迷いながらも成長し続ける息子さんの気持ちが受けとめられないでいたようであった。
息子さんは、とても繊細で思い遣り溢れていた。
が、学校のこと、勉強のこと、これからのこと等などのことを交代で二四時間織機に付きっきり働く親を眼前にして黙して語らずにいたようであった。
「加谷さん、息子さんの学校の通知表だけで勉強していないと思っていない。」
と尋ねてみた。
加谷さんは、通知表の数字しか眼に飛び込んでこないと正直に言う。
そこで、あえて、通知表の数字でない次のようなことを話してみた。
「息子さんは聞えるから家の中二階の部屋で勉強しようにも織機の轟音で集中、出来ないかも。」と。
加谷さんは、今まで思いもしなかったのだろう、
「そんなにうるさいの。」
と聞く。
「息子さんは、それでも我慢して不満を言うことなく、自分なりの勉強をしているはず」
と言った。
轟音の中の暮らしの中で生きる親子の生活。
加谷さんは、それに気づかずにいた。聞えないから。
ろう学校のすくなくない教師たちは、騒音を感じないから卒業生の「適職」のひとつとして西陣などの織物の仕事に就くことを奨励していた。
教師たちの「適職」ということばにいつも残酷な響きを感じていた。