communion of mind with mind
通知表でない次のようなことを話してみた。
「息子さんは聞えるから家の中二階の部屋で勉強しようにも織機の轟音で集中、出来ないかも。」と。加谷さんは、今まで思いもしなかったのだろう、「そんなにうるさいの。」と聞く。「息子さんは、それでも我慢して不満を言うことなく、自分なりの勉強をしているはず」と言った。轟音の中の暮らしの中で生きる親子の生活。加谷さんは、それに気づかずにいた。聞えないから。
と述べた。
加谷さん夫婦は、轟音の中の暮らしの中で生きてきた。
そのことは、息子さん充分知っていた。
騒音の中で必死に生きる親子の生活。でも加谷さんには、それに気づけなかった。聞えないから。
「そんなにうるさいの。」と聞いて、息子さんには耐えがたい騒音の中でも必死になって活きていることを一層理解した加谷さんは、息子さんに出せる声と手話を「振り絞って」「ごめんね」と言ったとのこと。
後日その話をうれしそうに私に語ってくれた。
息子さんとそのことで話すことはしなかったが、明るくなり両親の仕事をより手伝ったり、ろうあ協会の取り組みにこころから連帯を現していたことが、その後の行動で理解できた。
「そんなにうるさいの。」とたずねた加谷さん夫婦とその後、息子さんのそれからが耀きながらいつまでも消えることはなかった。