手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

文章を手話で表現しようとする試みの教訓 多くのろうあ者が分かるようにあえて抽象的手話を避けて 京都の手話

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手話を知らない人も

       手話を学んでいる人もともに

  {新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー

 

  「1954年手話冊子」では、いくつかの学術的な文章や文学作品を手話で表現するとどうなるのかということを手話の語彙の配列で記載されている。

 

 文章を手話で表現するのかについては、現在の時点から思考するのではなく。1950年代に遡って考察すべきであろう。

 

 意外なのは、難解な文章も漢字を取り込んだ手話で表現されていること、手話にない語彙は手話の組合せで表現されていることである。

 

 この手話の配列は、絶対的なものでもベストなものでもない。他にいくつもの組合せが無数にあることを前提に文章と手話について区分して解説したい。


「1954年手話冊子」第4章 1-1 文章と手話

 

 生活を豊かに(人間生活のはじまり)

 

( 原文 )

 

 始めに地球上に現れた人間は自然にある生物を生のまま食い、木陰や洞窟に住んでいました。

 

 これだけのことならば、けだものと少しの違いもありません。

 

 人間が万物の霊長だとなどと威張ることもできない訳です

 

 しかし、大昔の人たちの中にも、自分たちの生活をもっと気持の良いものにしようとする進んだ考えを持っ人もあったことでしょう。

 

 その人たちは毎日くり返している生活の体験を活かして、住居、衣服、食料等、日常生活の上にいろいろ工夫を加え始めました。


( 手話 )

 

昔々 始めて 地球 出現 たべもの 自然 ある 魚 鳥 草 木 実 そのまま 食べる 焼く 味付け ない 生きている すぐ 食べる 家 ない 大きい 木陰 また 大きい 岩 穴 住む

 

 このような生活 動物 生活 同じ 

 

 人間 動物 たくさん中 1番 偉い 威張る できない

 

 けれど 昔々 人々 たくさんいる けれども 自分たち 生きる 方法 もっと 楽しい 欲しい 便利 欲しい 考える 考え 賢い 人 あった 思う

 

 そして 生活 毎日 同じ くりり返す いろいろ 経験 利用する 少し 思いついて 変える 良い また 考える 変える 少しずつ 頭 変える


 始めに地球上に現れた人間  ⇒   昔々(あえてつけ加えている) 始めて 地球 出現

 

  生物⇒  魚 鳥 草 木 実(魚 木 などなどのひょうげんもある)

 

 洞窟⇒  大きい 岩 穴 (洞窟の手話もあった。)

 

  けだものと少しの違いもありません。⇒動物 生活 同じ(同じ=少しの違いもありませんで意味表現)

 

 万物の霊長 ⇒動物 たくさん

 

 大昔の人たち  ⇒昔々 人々 たくさんいる(多く昔の人々は多くいたのであえてつけ加えている。)

 

 生活  ⇒生きる 方法(生活の手話はあった。)

 

 進んだ考え  ⇒  考え 賢い(進んだ考えの手話もはあった。)

 

いろいろ工夫を加え始めました⇒考える 変える 少しずつ 頭 変える(頭 変える⇒考え変える)

 

 文章に該当する手話はあっても、多くのろうあ者が分かるようにあえて抽象的手話表現は掲載されていない。

 

 また手話の順序性やそれを見るろうあ者の見やすさ、手話の流れを熟考したものであることは見逃せないでいただきたい。

 

 このことは、1960年代になってろうあ者の社会教育が盛んになるにつれて「説明的手話」は少なくなる。

 

 幾度も書いてきたが、ある概念がろうあ者の多数に理解されると手話表現も説明的表現は少なくなる。

 

 ろうあ者の知性の高まり、としばしば「1954年手話冊子」で書かれている「知性」とは、具体的に以上のようなことなのである。

 

 単純に知的レベルが高い、低いの考えで京都のろうあ者が述べていないことは理解しておくべきだろう。