手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{続投稿}ー京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
課長が少しでも本筋からそらそうとすると
ろうあ協会のひとり一人の発言にみんなはうなずき拍手の連続。
京都府の担当課長が少しでも本筋からそらそうとするとすぐ、「ちがう」「そうじゃない」「おかしい」と言う意見が続出してろうあ協会の参加者の手が次々と挙がり、私も言いたい、僕も言いたい、と途切れることはなく会場の時間が切れてもみんなは帰ろうとしなかった。
終電、終バスになっても誰も帰ろうともしない。
その熱気や要求内容は、それまでがまんにがまんを重ねてきたろうあ者のすべてを現したものであった。
ろうあ協会の要求は切実で
「利権を求めている」「嘘偽り」はなく
行政が行政として果たさなければならないことを言っているのだ
ここまで来ると、京都府はもちろん各市町村はろうあ協会の要求は切実で「利権を求めている」「嘘偽り」ではなく、行政が行政として果たさなければならないことを言っているのだ、ということが浸透し初めて行った。
長く苦しく辛い生活の中で学び、助け合い協力して、意見をまとめあげたろうあ協会とろうあ者のみなさんの歴史が根底から変革する第一歩の記念すべき日々がはじまった、と言ってよい日々だったと思う。
蜷川知事は、京都府議会の手話通訳要求に対して、ただ口を見ていればいいのではないと言い、ろうあ者の生きがいのある生活を提起した。
それ以降のことは、あまり知られていないが、知事の発言は年一回雉の放鳥を聾学校の生徒としていることだけへの反省もあった。
知事が、公務で府庁から出かけようとした時、偶然、聾学校幼稚部の生徒が府庁見学に来ていたが知事は公務を延ばして生徒たちを知事室にまねいて懇談した。
その貴重な写真をSTさんから提供していただいたので掲載する。
このようなことは、一度私も見たことがあった。
あわてる秘書課長と笑顔のろう学校の生徒と知事の様子はごく自然なものであった。