手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

多様性 個別性 の手話 を認めてこそ 山の手話はひとつでないように

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手話を知らない人も

 手話を学んでいる人もともに
     {再編集投稿}手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

全国手話通訳問題研究会結成の思いと行動
 全国手話通訳問題研究会結成

    初代全国手話通訳問題研究会事務局長

   谷勇男氏へインタビュー

 

  ろうあ協会から言われただから
 それをする 手話通訳として正しいか

 

  地方の手話通訳者が非常に困っていて相談がある。

 

 どのように手話通訳を位置づけて、どのような仕事をするのか、きちんとしていないと。

 

 ろうあ協会から言われたから、それをする、しなければならない、と。

 

 それが手話通訳として正しいかのように。

 

聴覚障害者が他の人々と生きること
 あたり前になるようにどのような仕事を

 

 そうではなくて、その地域に地方自治体として聴覚障害者が他の人々と生きることが当たり前になるようにどのような仕事をするのかとかが考えていかないと。

 

 考え切れていないのでは。またそのための運動があまりないのでは。

 

 今 すすめられている手話の悪いところは
 形式化画一化していく傾向

 

ーー1950年代以前、1960年代のろうあ者と手話で話をしてきたが、ある日、ある地域に行くとそこに行ったことがないのに、居たような気がする。
 なぜかなぁ、とよくよく考えてみると、その地域に居たろうあ者と話をしたことにハッと気がつく。話をしていたことが、イメージとして残っていてその地域に行くことで現実とイメージが結びつく。 

 

  山肌は△で表すただの山の形ではなく、その地域の山の形と情景が手話で表されていてその風景のなかに居たかのように思い出されてくる。そういう手話。

 

  今 薦められている手話の悪いところは形式化画一化していく傾向のために、山は山でしかなく、その地域の山の形状ではないことになってしまっている。

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手話の多様性や個別性を認めて

 

 多様性や個別性を手話のなかでも認めていかないと、いけない。

 

 いろいろな手話通訳の活動スタイルがあってもいいが、手話通訳はかくあらねばならない、のようなことで決めつけて形式画一化してはいけない。

 

  ライセンスをランク付けして

 報酬分けして格差付け
    それは簡単である意味楽

 

 いろいろな人が居るのだから、いろいろな人を巻き込んで手話通訳者集団の裾野を拡げてゆかなければならないのではないでは。

 

 ライセンスをランク付けして報酬分けして格差付けする。

 

 それは簡単である意味楽。