手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

なぜ差別だったのか 原因はどこにあったのかを追求しなかった京都ろう学校授業拒否事件

   村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟

 

ろう学校の手話に対する差別事件でなかった
 京都ろう学校授業拒否事件

 

 村上中正氏の記録資料を読むと次のようなことを考えていたようなので紹介したい。

 

 まず、京都ろう学校授業拒否事件。

 今日では、広く知られるようになった京都ろう学校授業拒否事件。

 

 多くの人が、ろう学校の手話に対する差別事件だというふうに捉える傾向が強い。

 だが、村上中正氏はそのように考えていないことは既に述べてきた。

 

  どのようなことが京都ろう学校における
 差別であったのか具体的に述べない

 

 当時の京都府教育委員会及び管理職層は京都ろう学校授業拒否事件を差別問題として考えることで全て問題を解決しようとした。

 

 京都ろう学校授業拒否事件を差別問題としながらも、どのようなことが京都ろう学校における差別であったのか具体的に述べようとはしていない。

 

 そればかりか、

 なぜ差別だったのか、

 なぜ差別があった、

 原因はどこにあったのか

 

などの解明はまったくなされていない。

 

 京都ろう学校高等部の授業拒否事件を詳細に調べてみると、手話に対する意識や生徒に対する差別問題というよりも、そもそもろう学校高等部の教師たちが授業をどのように取り組んでいたのかという基本的問題に行き着く。

 

 ろう学校だから授業をいいかげんにすればいいとするのは、教師たちが生徒たちを侮蔑していたのではないかと思われる。

 

 例えば、授業がはじまれば時間どおりきちんとはじめて欲しい、という生徒たちの要求は、当然の要求であるだけでなく教師たち自身の問題でもあり管理職の責任でもあった。

 

  差別問題として考えたとしながら
「差別」という言葉を使うだけで問題解決を図らなかった

 

 当時の京都府教育委員会及び管理職層は京都ろう学校高等部授業拒否事件を差別問題として考えたとするならば、時間を守って授業を開始すると明言すべきであった。

 

 だが、これすらもない。

 

 結局、京都ろう学校高等部の授業拒否事件を差別問題として考えたとしながら、「差別」という言葉を使うだけで問題解決を図らなかったと言えるのではないか。

 

 「差別」という言葉ですべてを曖昧にしてしまったのではないか。そのようにしか考えられない。