村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求
京都府、京都府教育委員会と京都市、京都市教育委員会と協議で確認されたのは、京都市教育委員会管轄の京都市立二条中学校などは、難聴学級から山城高等学校に進学した生徒の聴覚活用や聴能訓練等、主に聴覚保障の分野を責任持って対応する。
京都府教育委員会は主として京都府立ろう学校の聴覚障害教育の教訓を京都府立山城高等学校に伝承し、京都府立ろう学校と山城高等学校の緊密な連携がとれるように十分指導するなどのことであった。
ともかく「暗中模索」「手探りの状態」の中で、山城高等学校の聴覚障害教育をすすめていくことになった、と当時の担当者のヒヤリング調査での発言があった。
教員定数総枠と教員の増員の違いと
厖大な財政措置と国庫補助金削減の狭間
解ってもらえないと思いますが、と前置きして話されたのは以下の主な点であった。
1,山城高等学校の聴覚障害生徒を受け入れるにあたって、全日制、定時制課程にそれぞれ二名の教員を配置した。
この二名の教員は、京都全体の教員の枠の中で操作して配置するというのではなく、教員二名を増員するということだった。
総定数の教員に二名の教員を上乗せするということは財務担当から激しい抵抗があった。
教員一名を増員するためには、その教員の生涯賃金と退職金等を計算するので一人○億ということになる。それが二名。
国庫補助金ゼロ。
逆に国はそのことを知ったら補助金を減額してくるなどなどの問題があった。
山城高等学校には、教員が異動しているので増員と思っていないかも知れないが、総枠的に考えて欲しい。
二名の教員が増員されたのは、国庫補助とは別の配置であった。
この複雑な教員総数と定員について、単純に考えてもらうと困る。