村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求
豪華な施設設備をつくって終わりにするのか教員配置か
当初、教員配置ではなく山城高等学校に数億円かけて全国希に見る豪華な施設設備を作れば、評価、賛美される。
だが、それでいいのか。
教育とは見かけだけの形態なのか、との論議があった。
やはり聴覚障害教育を担う教師の配置が、その後の教育を決定づけるのではないか、となって二名教員増とした。
しかし、その後、矢継ぎ早に聴覚機器や施設設備の要求が出され、とても苦しく頭が痛かった。
など、見かけの立派な施設よりも牽引者としての教師配置を重視したとの話であったが、教員定数と予算、施設設備と予算の関係が膨大な予算案の中で渦巻いていたことは確かである。
以上のことを抱えて京都府立山城高等学校の聴覚障害教育は出発していた。
(終わり)