communion of mind with mind
Bさんから、出会うあうあ者のひとりひとりの手話を「まねる」ようにと聞いた。
しかし、これは簡単なことではなかった。いま思い出しても大変なことであった。
明治時代、大正時代、昭和の戦前、昭和の戦後を過ごしてきた人の手話はとても大きな違いがあった。
路面電車(市電)。
明治時代に生きた人は、運転席にあったであろう機械を手で「ぐるぐる回す」。
大正時代、昭和の戦前を生きた人は、手をぐるぐるとは回さないで「└┐」と動かし、昭和の戦後を生きた人は市電のパンダグラフを。左手の二本指を電線に見立てて右手の二本指をパンダグラフに見立てて左手の二本指に右手の二本指を這わせて市電の動きを現すなどさまざまであった。
多種多様であった。
でも、はなしの経過からその手話は、路面電車(市電)と解った。
今では、多くのところで路面電車(市電)が廃止され、路面電車(市電)の手話表現は、「死滅」させられている。
路面電車(市電)が、街を、それに乗っていたろうあ者は無心になって市電を運転する様子に魅入っていたことも解ってきた。
今は廃線になったとされる路面電車(市電)は、道路になっていたが、歩いてみると街角の商店の面影が残っていた。
少しばかり、線路も残されていて路面電車(市電)の軌道の巾も知ることが出来た。
路面電車(市電)は、ドアーがなかったから、雨が降ったら入り口に立って居たらずぶ濡れになった、と言うろうあ者の話をきいて調べてみたら明治時代初期の路面電車には、ドアーがなかった。
過日、TVでヨーロッパの保存鉄道の特集を見ていた時に、驚くことがあった。
たぶんオランダで保存されている路面電車だったと思うが、運転手はさかんに手を「ぐるぐる」回す運転をしていた。
ヨーロッパのように保存鉄道の取り組みがすすめば、手を「ぐるぐる」回す運転も路面電車として理解され続けるだろうとも思えた。
新しい手話、正しい手話と言う人は、手話で「路・面」「電車」と2動作をするかも知れない。3動作をするかもしてない。
だが、「ひとつの手話」で表現されていた頃のほうが、はるかに豊かで解りやすく特徴を捉えた「手話」だったと思える。
路面電車は、手をぐるぐる回してブレーキをかけ電車を止めるのが運転の仕方だったのかはわからないが、ひとつの手話を見るだけでも、歴史的変移だけでなく、あるものやあることを一瞬で現す知恵と表現力の素晴らしさに驚く。
「真似る」ことは学ぶことであると。