communion of mind with mind
今日、日本の伝統産業は世界から高く評価されている。その技法、美、機能性などなどに感嘆することも多い。
日本の伝統産業は、さまざまに紹介されている。
だがしかし、その伝統産業を支え、伝承し続けてきた人びとの中に多くのろうあ者、聴覚障害者の人びとが居たことはあまり知られていない。
全国、各地域で伝統産業を支え、伝承し続けてきた多くのろうあ者、聴覚障害者の人びと出会い、はなしをしたが、その中で京都の伝統産業を支えた人の人生をほんの少しだけ紹介したい。
紹介する人はすでに亡くなられている。
生前、多くの想いを受けとめつつ了解を得ていくつかの映像記録を残しているが、ほとんど「紐解かれ」はしないで放置されている。その原因を問うとあいまいな返事ばかりだった。
時間とともにわかったことは、映像に残された手話を「まったく読みとれない」のでそれを明らかにすると自己の資質が問われるとも思い込んでいるらしく映像記録を封印していることがわかった。
映像として残しておけば、いつか誰かが注目してくれるだろうと思うのは淡い夢物語だったのか、とも思うが。
生前、多くの想いを受けとめつつ了解を得ていくつかのことを話してくれた人への尊敬と称賛の気持ちをこめて少しばかり記しておきたい。
まず西陣で帯を織り続けて生涯を終えた二人のろうあ者のはなしから。
※ ろうあ者と以下書くのは、話してくれた人びとが誇りを持って「ろうあ者と記録し、多くの人々に知らせて欲しい」と言われたこともある。