手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

うらやましい の手話 先入観で、決めつけ、押さえてはならない手話 暮らしの中から産まれた手話が禁止されている 乳房に手を添えてを大切に

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En solidaridad con Takahiko Mochida comentario 訳   1/12/2019 京都手話通訳問題研究会会長持田隆彦 ねっとわーく京都

 

  持田隆彦は、日本の伝統文化と生活から生まれた手話を大切にしようと話す。

 じつに感慨深い。

 

   うらやましい   女性差別 卑猥とは

 

持田
 (手話は)助詞がなく、すべてを身振りと表情と指差しと間(ま)で表現しますからね。

 

「そうそううらやましい」

 

という手話があります。

 

 それを見た東京の人は「そんな女性差別の手話はやめろ」と言います。

 

  おっぱいが出る母親が「うらやましい」
 同じおっぱいを飲んで育った兄弟姉妹

 

 左胸の上のあたりに右手を下から持っていきあたかも乳房をもむような表現をするのです。

 

 これが卑猥、差別だというのです。

 

 いまは赤ちゃんにミルクを与えますが、昔はミルクはなく母乳です。

 

 母乳が出ない母親はおかゆをつくってその上澄み、重湯を赤ちゃんに与えます。

 

 おっぱいがないと、もらい乳とか乳兄弟(注 ちきょうだい・乳姉妹)などもあり、健常者のお母さんでもたいへんですが、ましてや、ろうあのお母さんはもっとたいへんです。

 

 ですからおっぱいが出る母親が「うらやましい」のです。

 

 そこからこの手話が生まれました。

 

  まったく違う意味の手話

 唇の端に指先でくわえる     おっぱいが出る

 

 それが、いま一般的には

 

「唇の端に右人差の指先を当て、くわえる」

 

やりかたの「うらやましい」になっています。


 京都ではこの二つを使い分けていますが、これもだんだん唇に指をあてる方が主流になってきています。

 

 物欲しい 精神的 な場合と区別

 

 唇の方は物ほしいときに使い、胸の方は精神的なものが入ります。

 

 「子どものプレゼントで北海道旅行に行ってきた」

 

  「へぇー!うらやましいなあ」

 

というときは胸の方なのです。

 

  親子関係が良い、うらやましい 
   プレゼントがうらやましいのではない

 

 物欲しいわけではなく、そういう親子関係が良い、うらやましいというわけです。

 

 手話も言葉ですから変わっていきますが、せちがらくなってきたなと感じています。

 

   母乳で子供を育てる歴史は長い。粉ミルクを飲む歴史は短い。

 

 長い歴史の中で母乳で育てられたことをいつまでも大切にする風習は世界中で見られる。

 

 漢字の「母」のふたつの点は、両手で子を抱きかかえている姿と子供に乳を与えている姿とも言われている。それ故に「母」の漢字には、子を産み、養い育てる女性を表記していると学んだ。

 

   人間愛を見失って
 日本の文化と歴史を否定しているのでは

 

 母乳を与えることへの賛美とも受けとめられる「うらやましい」の手話が否定されてなくなることは、日本の文化と歴史を否定することにもなるではないか。

 

 私が思うに前後関係を見ないで「乳房をもむような表現」を卑猥と言う人々は、単純な考えと断定することで人間愛を見失っていると思う。

 

 なぜなら赤ちゃんがたくさん母乳を飲んで元気に育って欲しい、母乳がたくさん出て赤ちゃんがたくさん母乳を飲むことが出来る思いも考えようとしないからである。

 

 日本で育った生活と文化と精神を表す手話は、大切にしてほしい。うらやましい。

 

 

味のない手話が多く 私もそれに慣らされて

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  En solidaridad con Takahiko Mochida  訳   1/12/2019 ねっとわーく京都

 

 1/12/2019 ねっとわーく京都に京都手話通訳問題研究会会長持田隆彦が、実に興味深いことをはなしている。

 

 このことに対するcomentarioを発信する。

 

 彼は次のように言う。

 

     手話表現自体が豊かだった

 

持田
 いま手話も変わってきています。

 

 昔の手話には指文字がありませんでしたし、普及もしていませんでした。

 

 学校でも口話教育が主流で、手話をやると先生や家族に叱られた時代でした。

 

 でもろうあ者の間では手話をこっそりやっていました。

 

 手話には「てにをは」の助詞を使いません。

 

 その代わり手話表現自体が豊かだったと思います。

 

 それがだんだんつまらなくなってきたように思います。

 

  最近の手話を見ていると表情はあまり使わない

 

持田
 手話は表情も大事だと思うのですが、最近の手話を見ていると表情はあまり使わないように感じます。

 

 例えば、「ありがとうごいます」の手話は、力士が賞金をもらうときの手刀を斬る動作から生まれました。

 

 「ご苦労様」は腕を握りこぶしでたたくのですが、これは力仕事をしてくれてありがとう=ご苦労様からきています。

 

  味のない手話が多く  私もそれに慣らされて

 

 私に手話を教えて下さった先生のお見舞いで病院に行ったとき、「自転車で来たのか」「そうです」のやりとりの後、握りこぶしで足をたたくのです。

 

 私は「足が痛いのか」とも思ったのですが、あとで気づくのですが

 

「御足労かけましたな。ご苦労さん」

 

と太ももをたたいて「足=腕=握りこぶしでたたく」のつながりで、いわばしゃれみたいに表現したのです。

 「ありがとう」

は手刀だけで表現し、足を使う人はいまはほとんどおられません。

 

 そういう味のない手話が多くなり、私もそれに慣らされてきています。

 

  多くの意味があるはず  味のない手話

 

  味のない手話、表情はあまり使わない手話。

 

 手話表現自体が豊かだった時代は、日本では消えているのか。

 

 それとも、それを知っている人々は、あきらめているのか。

 

 味のない手話という日本語表現は、考えると多くの意味がある。

 

 この場合の「味のない手話」は、奥行きの無い手話、情感のない手話、という意味だと思うが、私の知り合いは、「味」・「無い」・「手話」⇒味のない手話、とする。しかし、これこそ持田隆彦の指摘、「味のない手話」の典型ではないのか。

 

 

 

聞こえない聴き取りにくいともすれば孤独になることもあるが「待つ」という時間の「間」

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          ある聴覚障害者との書簡  1993年 寄稿

 

  手づかみで食べる身振りから箸、箸を使う「過程」を考えてみよう。

 

 手づかみで食べる身振りは、表現としてひとつ。

 

 手づかみを仲間たちは、止めようとした人がいたけれど、止めなかった。

 

 自分も同じ経験をしてきたからと言うことあるが、待った。

 

 「待つ」という時間の「間」。

 

 次に大変難しい、箸で食べる、の段階まで「待つ」という時間の「間」。

 

  「食べる」から「箸」で「食べる」
   ひとつ+ひとつ でふたつに

 

  これはいろいろな過程があるが、兎にも角にも「箸で食べる」に行き着いた。

 

 ここでは、「食べる」から「箸」で「食べる」という、ひとつ+ひとつ でふたつになった。

 

 このことは、飛躍的変化なんだ。

 

 が、ここで、
   瀬山君は、未就学の聴覚障害者のAさんは、仲間たちに教えてもらったという一方通行の会話だと思っていないだろうか。

 

「微笑み」は学んだ「答え」でもあるメッセージ

 

 Bさんは「手づかみで食べる身振り」をしてにっこり笑った、すると、Aさんは微笑んだ。BCDEさんらみんなも「微笑んだ」、という「微笑み」がAさんが学んだ「答え」でもあるメッセージなんだ。

 

 その「微笑み」がBCDEさんらの喜びとなり、気持ちが通じあったという確信(学んだ)ことになるのではないだろうか。

 

成人になって困ったことはないと思い続けるか
  気づいて大いに悩み続けるか

 

 ひとつからふたつ。

 

 このふたつになることであれもこれもとAさんは学び、BCDEさんらは自分たちが知らず知らずのうちに身につけていた「ことば」を再認識した。

 

 再び学び直したと言えるのではないか。

 

 学ぶことは一度だけではない。

 

 何度も学ぶことで学びが深くなると思う。

 

 瀬山君は、聴覚障害の仲間がいなければ、16歳の時、「聴覚障害で困ったことは?」と聞かれて「何にもない」と答えたままで成人になってそのまま思い続けるか、気づいて大いに悩み続けるかのふたつの道を歩んでいたかも知れない。

 

「ひとつ」から「ひとつでないかもしれない」道

 

 ところが、聴覚障害の友人が手話を「なぜ、嫌いなの。自分は良いと思う。」あなたが思い続けていたひとつの道に問いかけた。

 

 「ひとつ」から「ひとつでないかもしれない」道を。

 

 この問いかけが聞こえる人だったら「何を言っているんだ」となったかも知れない。

 

 でも聴覚障害として同じ、「ひとつ」の友人が違う「ふたつ目」の問いかけをした。

 

 ここで学ぼうとした君は、素晴らしい。

 

 「否定」と「否定」を繰り返しながら友人の意見を「肯定」しようとしたのだから。

 

 これ以上書かないが、聴覚障害だから学ぶべきだということだけではないのだ。

 

  新しい発見と喜びを知る

 「学ぶ」ということの大切さ

 

 聞こえない、聴き取りにくい、ともすれば孤独になることもあるが、同じ聴覚障害の仲間から学び合うことで、あなたも仲間も、新しい発見と、喜びを知ることにもなるという意味でも「学ぶ」ということの大切さを述べたのだが。

 

                                                                             (了)

 

 

聴覚障害は自分だけ みんなは聞こえている中で学んできたが

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            ある聴覚障害者との書簡  1993年 寄稿

 

  瀬山君は、学ぶということを「教えられたこと」を「そのまま覚え込む」と思っていないだろうか。

 

 また、教える人と学ぶ人を分けていないだろうか。

 

  学ぶ人々がお互いに学ぶあってこそ

 

 私は、学ぶことは学ぶ人々がお互いに学ぶあってこそより高く学べる、と思っている。

 もちろん、教える人から学ぶことを軽く見ているのではないが。

 

 瀬山君は、物心つく前から「教えられたこと」を「そのまま覚え込む」ことを「教えられ」てきたんじゃないだろうかと思うことがしばしばあった。

 

「とてもいい子」

と言われて知らず知らずのうちに

 

 「教えられたこと」を「そのまま覚え込む」ことが出来ることを「とてもいい子」と言われて知らず知らずのうちに自分もそのように思い込んでいたのでは。

 

  「嫌いだから嫌い」と友人と別れた

 

 例えば、手話は嫌いと行った時、聴覚障害の友人が

 

「なぜ、嫌いなの。自分は良いと思う。」

 

と言った時に

 

「嫌いだから嫌い」

 

と言って友人と会わなくなったことがあった。

 

  「嫌いだから嫌い」が けれどが付く

 

 でも、それから色々考えてその友人に謝った。

 

 その時、

 

「手話は、嫌いだ、けれど君が良いと思うならそうかも知れない。」

 

と「けれど」ということばが入った。

 

 「絶対」から「相対」への考えの変化があったと見ていたが、そうではないのかな。

 

  Aさんが言った「でもね、これと、あれと、どっちが食べたい?が通じない。

 

 どっち、けれど、が解らないと、選ぶことや選べないことやどちらかと言えばと選ぶことが出来ない、を瀬山君は簡単にクリアーしていた。

 

~だ、~です、~だ、~です、を繰り返していた君はそこにはいない。

 

  相手に自分の考えを伝える

     はなしことばも手話も口話

 

 はなしことばも手話も口話も、相手に気持ちや考えを伝える手段だから、相手に自分の考えを伝えたことになる。

 

 伝わったことは、「手話は嫌いだ」が「君が好きと思うなら」

と相手の気持ちも受けとめながら君の考えを言っているが、そこには君が「手話について考える余地」を伝えているのじゃないかな。

 

 「余地」「間」が会話にはとても大切。問いと問いの「あいだ」が大切なんだ。

 

 人間は、育ちの中で学んだことを身につけるが、学んだ過程は忘れがちになるものではないかと思う。

 

  学ぶ過程をもう一度教えてくれた
  未就学の聴覚障害者のAさんと仲間たち

 

 未就学の聴覚障害者のAさんと仲間たちは、学ぶ過程をもう一度教えてくれているのではないかと思う。

 

 ハッキリ言って、学ぶことは仲間で教え合い、学びあうことで、より多く、より深く、より高く学べるものだと思う。

 

 学ぶことと仲間。

 

 瀬山君は聴覚障害は自分だけでみんなは聞こえている中で学んできた。それはそれで大切だったと思うけれど、自分以外の聴覚障害者の仲間を「失っていた」、また自分以外の聴覚障害者の仲間から「学びあう」ことがなかった。

 

 未就学の聴覚障害者のAさんと仲間たちの努力から、学ぶことは大変意味のあることだと思うのだが。

 

  未就学の聴覚障害者のAさんと仲間たちが、学びあったことをもう一度考えてみよう。

 

 

 

未就学のAさん どうしても「どっちに」「けれど」が解らない

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           ある聴覚障害者との書簡  1993年 寄稿

 

手づかみで食べる暮らしへの援助
 
  未就学の聴覚障害者と「いろいろあったんよ、」とは。

 

  未就学の聴覚障害者AさんとBCDEさんや多くの人がAさんと話し続けた。

 

 手づかみの食事は、Aさんの生活そのものを現していたという。

 

 みんなは、交代で、Aさん宅を訪れて掃除したり、食事したりした。

 

 Aさんは、次第になれてきたので役所に頼んで家庭奉仕員が定期的に家庭訪問してくれることになった。

 

  「それも」「あれも」「これも」

   と「たくさん」

 

 Aさんは、「あれ」「それ」「向こうの」という手話も解ってきたし、「それも」「あれも」「これも」と「たくさん」も「指さし」て、手話で会話が出来るようになった。

 

 「それ」「これ」って指さしをするのは、とても大切だとみんなで改めて考えた。

 

 「これ」として手話で表す。

 

 Aさんは、同じようにする。みんなは微笑む。Aさんも微笑む。などの繰り返しの中で、「これ」ってすると「リンゴ」「みかん」「大根」「ごはん」と出来るようになってみんなもAさんも大喜び。

 

「どっちに」「けれど」が解らない

 選ぶことや選べないことや

 

 でもね、「これと、あれと、どっちが食べたい?」が通じない。「どっち」、「けれど」が解らないと、選ぶことや選べないことやどちらかと言えばと選ぶことが出来ない。

 

 これと全部から、これ、あれ、それ、などの数はおおよそ解ってきているようだけれど。

 

 長い時間がかかったことを書いてみても長くなるけれど、数え切れない時間とともにAさんは数え切れない手話を覚えている。

 

という話。

 

  また手話がと言いたいのではない大切なこと

 

 学校にまったく行けず、社会から断絶させられていた未就学のAさんが、同じ聴覚障害の人々と話し合え、話し合うことの喜びを享受できている。

 

 とここまで書けば、瀬山君は「また手話が‥‥‥と言いたいの」と思うかも知れない。

 

 でも、そうじゃない。

 

 学ぶことの基礎と学ぶことの拡がりが、Aさんと仲間たちの間にあると思う。

 

 瀬山君からの、聴覚障害者が学ぶことが大切だというの?という質問への答えがここにあるとも言えるから。

 

 

 

 

手づかみで食べることから産まれた「微笑み返し」

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  ある聴覚障害者との書簡  1993年 寄稿

 

聴覚障害者の人びとは一生懸命 
  でもなんの反応も表さなかった

 

 未就学の聴覚障害者と出会って、十数年経ってしまったが。

 

 その人が、聴覚障害者の人たちの集まりに参加しはじめた最初の頃は、ただただじっとしているだけだった。

 

 周りの聴覚障害者の人が、身振りや手話で一生懸命話しかけるが、なんの反応も表さなかった。

 

 でも、素晴らしいと思ったのは、聴覚障害者の人々が話しかけるのを諦めなかったことだ。

 

 自分もあの人と同じだった。

 

 そのように言う人が数人いた。だからきっと何か出来るはず、と言うが時間だけが過ぎた。

 

  お腹が空きすぎている 
 手話や身振りで「食べる」に反応しない

 

 話が解りにくくなるので、未就学の聴覚障害者Aさんとして、他の聴覚障害者の人をB、C,D、Eさんとする。

 

 時間が経つ中でみんなはお腹が空きすぎているのに気がついた。

 

 昼食の時間は、過ぎていた。

 

 注文してあった弁当をテーブルの上に運んだ。

 

 Aさんは、運ばれる弁当を「追視」して、テーブルの上の一点に留まった。

 

 B、C,D、Eさんたちは、手話や身振りで「食べる」と聞いてみたがAさんからの反応がなかった。

 

 Cさんが、Aさんの前に弁当を置き、弁当の包みをほどいた。

 

 Cさんを見るAさん。Cさんは頷いたがAさんはじっとしていた。

 

 Cさんは、弁当をAさんの前にもう少し出して、みんなで弁当を食べ始めた。

 

 手づかみで食べる弁当
  でもとめずに時が経った

 

 用心していたAさんは、少し安心したのか、手づかみで弁当を食べ始めた。

 

 みんなは愕いた。

 

 DさんとEさんがあわてて手づかみで食べるのを止めさせようとした。が、BさんとCさんは、「そのまま」とDさんとEさんを止めて弁当を食べた。

 

  手づかみで食べる身振りに にっこり笑った

 

 手づかみで弁当を食べていたAさんが、少し手を休めた時、すかさずBさんは「手づかみで食べる身振り」をしてにっこり笑った。

 

 すると、Aさんは微笑んだ。BCDEさんらみんなも「微笑んだ」。

 

   左手に箸を持ち 右手で箸の手話

 

 みんなが満腹になった時に、Bさんが箸で食べている様子をして、左手に箸を持ち、右手で箸の手話をしてつまむ様子をした。

 

 Aさんは、それを見て、Bさんの箸の手話と同じようにしようとした。

 

 みんなは、拍手して微笑んだ。

 

 Aさんも微笑んだ。

 

 産まれた「微笑み返し」

 

 「微笑み返し」が産まれた。

 

 Aさんは、箸の手話も箸で食べることも知らなかったが、Bさんと同じことをするとみんなが喜ぶこと、自分も楽しいことを知った様子に思えた。

 

  箸で食べている姿に
   「いろいろあったんよ、」と

 

 月日が流れて、AさんやBCDEさん以外の人びとも集まっている時に、Aさんが箸を使って弁当を食べているのを見て愕いた。

 

 手づかみではなかった。

 

 Bさんは、「いろいろあったんよ、」とうれしそうに私に語ってくれた。

 

 

 

 

同じ身振りと手話の繰り返しから手話の伝播までに至る「法則」

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                           ある聴覚障害者との書簡  1993年 寄稿

 

  「手話の伝播」までに至る「法則」

 

  なかまには笑みがあふれ出してきた、との話。学ぶことと意味があるので少し心に留めておいて欲しい。

 

  同じ身振りと手話の繰り返しが続いたが、それから少しづつ手話が「伝播」して、さまざまな手話が飛び交うようになった、と書いてきた。

 

 「同じ身振りと手話の繰り返し」から「手話の伝播」までに至る「法則」があるように思えてならない。

 

  身振りは はしたないのか

 

 「身振り」は、原始的だから手話はもっと嫌いと瀬山君は言いつづけていたね。

 

 今はそうではないけれど。

 

 「身振り」を否定する人は日本では多いかも知れない。はなす時、身体を使って表現することは「はしたない」と何度も言われてきました。私も。

 

 だが、海外に行って身振りとはなしことばをすべて使い切って会話をしている様子を目の辺りにして、考え込んでしまった。

 

  これ(物)とあれ(物)など物々交換

 

 特に私の経験では、ラテン系とも言われる人びとの様子は、手話で会話するのと区別しようがないと思えたほどだった。

 ある国際空港で長時間待っている時に。

 

  それから歴史を遡って、交易の時にどのようにして「会話」をしたのかということと、数字の初まりについても調べてみた。

 

 数、は交易にとって欠かせない条件だからだ。

 

 さて、人類の交易のはじまりは、それぞれの地域の音声言語ではなかったはずだと思う。
 
 交易の時に何が必要だったのか。これ(物)とあれ(物)など物々交換したのではないか。

 

 その時に非常に有益だったのが身振りじゃないか、と考えている。

 

  人間同士が

こころを通う合わせることが出来る「法則」

 

 さて、さて、「同じ身振りと手話の繰り返し」から「手話の伝播」までに至る「法則」と書いたのは以上のことを考えていたことと、私自身が聴覚障害の未就学の人が聴覚障害の仲間の中で「話せる」ようになったことを実体験しているからだ。

 

 私の実体験は、ほんの一部でしかない。

 

 でも、人間同士がこころを通う合わせることが出来る「法則」があるように思えるので説明したい。