ある聴覚障害者との書簡 1993年 寄稿
手づかみで食べる暮らしへの援助
未就学の聴覚障害者と「いろいろあったんよ、」とは。
未就学の聴覚障害者AさんとBCDEさんや多くの人がAさんと話し続けた。
手づかみの食事は、Aさんの生活そのものを現していたという。
みんなは、交代で、Aさん宅を訪れて掃除したり、食事したりした。
Aさんは、次第になれてきたので役所に頼んで家庭奉仕員が定期的に家庭訪問してくれることになった。
「それも」「あれも」「これも」
と「たくさん」
Aさんは、「あれ」「それ」「向こうの」という手話も解ってきたし、「それも」「あれも」「これも」と「たくさん」も「指さし」て、手話で会話が出来るようになった。
「それ」「これ」って指さしをするのは、とても大切だとみんなで改めて考えた。
「これ」として手話で表す。
Aさんは、同じようにする。みんなは微笑む。Aさんも微笑む。などの繰り返しの中で、「これ」ってすると「リンゴ」「みかん」「大根」「ごはん」と出来るようになってみんなもAさんも大喜び。
「どっちに」「けれど」が解らない
選ぶことや選べないことや
でもね、「これと、あれと、どっちが食べたい?」が通じない。「どっち」、「けれど」が解らないと、選ぶことや選べないことやどちらかと言えばと選ぶことが出来ない。
これと全部から、これ、あれ、それ、などの数はおおよそ解ってきているようだけれど。
長い時間がかかったことを書いてみても長くなるけれど、数え切れない時間とともにAさんは数え切れない手話を覚えている。
という話。
また手話がと言いたいのではない大切なこと
学校にまったく行けず、社会から断絶させられていた未就学のAさんが、同じ聴覚障害の人々と話し合え、話し合うことの喜びを享受できている。
とここまで書けば、瀬山君は「また手話が‥‥‥と言いたいの」と思うかも知れない。
でも、そうじゃない。
学ぶことの基礎と学ぶことの拡がりが、Aさんと仲間たちの間にあると思う。
瀬山君からの、聴覚障害者が学ぶことが大切だというの?という質問への答えがここにあるとも言えるから。