手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
ほれる。
騙される。
初めてこの手話を知った時に大変驚いた。
惚れると騙される、は同じ手話だと言うからである。
恋するという手話は別にある。
顎が外れる・ぽかーんとするで惚れるの手話。
惚れるの意味の、ぼんやりする、放心する、意味を表した手話である。
ところが、騙されるとの同一だ、とも言うろうあ者がいた。惚れるのは騙されるからだ、とまで言う。
ともかく、ぼんやり、放心した、心奪われた場合は、スキが出来るので騙されやすい、というのかも知れないが京都に伝わる手話には、それまでのろうあ者の人生が裏腹に表現されている。
ねたむ。
妬む、嫉むの漢字表記から来ていると思われるが、鼻を手のひらで左右に少し動かして「ねたむ」の手話。
猥褻、
性交。
同衾。
交合。
伊東雋祐氏は、この手話をわいせつ・猥褻とすらりとすり抜けて書いてた。ところが、実際は、性交、同衾、交合などの手話である。このことでどんな意見のやりとりがあったか省略する。
いわゆる手話の猥談でしばしば出てきた表現である。
右拳をホッペタに当てて、同時に左側のホッペタを膨らませる手話。
男性器が、女性器に入った時の様子を手話で表したと説明されてきた。
性交中に「膣内に空気が入る、それが出るときに音が鳴る」その音が、口に空気をためて、ほっぺをつついたら「ブー」と鳴るの同じということでも表現された手話でもある。
ろうあ者は、音が全く聞こえないとか決めつけないで、考えればこういうことは理解出来るが、こういう手話はすべてわいせつな手話とされた。
アメリカで出版されている性に関するイラストで描かれた手話を十数年前に見て、日本でわいせつな手話とされてきた手話とほとんど同じだった。
一つの時代が、わいせつとし、また一つの時代が性用語の手話としている。