村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
危険な教育方法だけで教育を述べる
教育を考える前提として教育をすすめる教師たちには、単に教育方法だけで行えないことがある。このことを理解しないで、教育を切り刻んで論じる教育研究者が少なくない。
よりよき教育をすすめようとするときに、教育内容と教育条件の両側面から考えなければならない。
極論で述べる教育からの逸脱
どんな貧しい教育条件下でも、生徒と教師がいれば教育が成立するという極論がある。
たしかに、日本の教育がはじまった頃はこのようなことが多くあったとされている。しかし、社会進歩と密接な関係を持ちながら教育も進歩してきたことを直視しならない。
1970年初頭の日本と教育を考えながら現在をも考えないと、村上中正氏の1971年試論は埒外に置かれかねない。
教育を国民に責任を負った立場で
教育は教師や生徒や学校
教育委員会、都道府県だけのものではなく
村上中正氏の1971年試論は、
「試論」は、「教訓をひきだし、将来の道すじについての意見」であり、「連動論の観点からの総括と展望」については個人でおこなうのではなく「集団討議を経て、報告と提起」そして展望を考えると述べている。教育が、教師や生徒や学校、教育委員会、都道府県だけのものではなく国民に責任を負った立場でオープンに意見交換をすることを思考している。
教育は、不当な支配に服することなく
国民に責任を負った立場で意見交換をするなどの立場は、教育基本法の
第10条 (教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
を基に述べられている。
村上中正氏は、戦争の惨禍から立ち上がった日本が教育とは何か、教育の基本は何かを一貫して考えていたからこそその具体的実践を怠らなかったとも考えられる。
(教育基本法は、2006年12月22日に公布・施行された全面改正された。)