村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の1971年試論では、
「聴覚障害でない」と固く信じこむ
インテグレーションした生徒や卒業生の中に
手話を忘れたと敢えて書かれ課題とされている聴覚障害の生徒や聴覚障害者たちの状況を当時の記録などで調べてみた。
インテグレーションした生徒や卒業生の中に「自分は聴覚障害ではない」と思い込む風潮が次第に拡がり、よく「目立つから手話をしない」、「手話を忘れる」「手話なんてない」などの動きが広まった。その考えに留まらず、自分は「聴覚障害でない」と固く信じこむこと以外は考えない。
だが、しかし、現実にはコミュニケーションのさまざまな問題が続出している。そんなことには無関心で全て過ごす。聴覚障害者が聴覚障害を否定し、結果的に自己否定する。
無関心で過ごすことは何のプレッシャーもなくフリーダムだと信じこんで自己の中に全てを仕舞い込む傾向が強くなった。村上中正氏らは、「聴覚障害者が聴覚障害を否定し、無関心で過ごすフリーダム」にたいして、教育や社会状況の反映として捉えていた。と書かれている。
聴覚障害者が聴覚障害を否定し自己否定
聴覚障害者が聴覚障害を肯定し自己肯定
どちらも評価しないわけ
聴覚障害者が聴覚障害を否定し、結果的に自己否定することに対して村上中正氏は「教育や社会状況の反映」と捉えていたとする。
「教育や社会状況の反映」として、聴覚障害者が聴覚障害を肯定し、結果的に自己肯定することについての「推定」はされていない。
しかし、前者も後者も村上中正氏は肯定してなかったのではないか思われる。
自己否定も自己肯定をひとりの人だけで考えていなかったからである。
ひとりと複層する網状集団
「ひとりの人」という個人のレベルだけでは、思春期、青年期、成人期を経ていく中で考えられない、否、考えること自体がナンセンスとも考えていた記述がある。
ひとりで生きていけない人間の基本を考え続けてたからではないか。
今日の社会では、教育を個人を複層する網状集団のなかで考えられることは極めて希なことになっているのではないか。
複層する網状集団のなかの個人を捉えるのではなく、複層する網状集団から個人のみを抽出して考えられることが多い。
時には、「大動脈」さえ切り裂いて抽出した個人のみを評価する傾向もある。
それを否定して、新しい教育方向を高等学校という青年期を迎えている生徒たちに提案しようともしていたのが、村上中正氏の試論でもないかと考えられる。