村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の1971年試論で、
現実に聴覚障害であるという問題に
その時期がいつか
「聴覚障害者が聴覚障害を否定し、無関心で過ごすフリーダム」いても、現実に聴覚障害であるという問題にぶち当たる。
その時期がいつである、いつの時期か、が大きな問題である。
否定し無関心でいた時期が
長ければ長いほど「衝撃的な自己認識」
本人が聴覚障害であることを自分から考え出す時期が来ると、
「聴覚障害者が聴覚障害を否定し、無関心」でいた時期が長ければ長いほど比例して「衝撃的な自己認識」が迫ってくる。
それを自分で正面から受けとめるのは葛藤を前提とした勇気が必要である。
自分以外の周辺の人びとや物に「衝撃」を与える
それでも問題は解決しない
「勇気と葛藤」に立ち向かえなかった場合は、自分以外の周辺の人びとや物に「衝撃」を与えるしかない。
だが、それでも問題は解決しないだろう。聴覚障害者が自己認識する時期に応じて必然的に「聴覚障害」という問題は出てくるが、そのことを早く早期に認識することで聴覚障害者の苦悩は軽減するのではないか。
聴覚障害者の自己認識との関係
手話が重要な「指標」と
手話を忘れた聴覚障害者が拡がりつつあるということは、聴覚障害者の自己認識との関係で手話が重要な「指標」であるも考えていたようである。
同時に、聴覚障害者の自己認識に留まらず、手話を忘れた聴覚障害者が拡がるということは、聴覚障害者集団の消滅が遅かれ早かれでてくる可能性があるとも考えていた。と書かれている。
成人期以降で「障害」を考える
と「衝撃」の程度がちがう
どのように聴覚障害を「自己の中で自分なりに押さえて」いてもそれだけでないと認識するときが出てくる、認識が突きつけられるとも言えるが。
この時、この時期が「いつである、いつの時期」かで、自分と自分以外の周辺の人びとや物への「衝撃」が違ってくると村上中正氏は主張しているのだろう。
そのことと「聴覚障害者が聴覚障害を否定し、無関心でいた時期」の長さで「衝撃」の程度や質が異なってくると提起している。
障害認識とかよく言われる。
だが、「認識」する時期とそれまでの時間と時期はあまり述べられない。
成人期以降で「障害」を考えることが
「衝撃」が強くなるのか
児童期、思春期、青年期で「障害」を考えるより、成人期以降で「障害」を考えることのほうが「衝撃」が強くなると考えのか。
また聴覚障害者の場合は、自己認識との関係で手話が重要な「指標」となるとは。
充分検討すべき課題でもある。