手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

聴力検査だけで判断せず聴覚障害児の生活や生活環境を考慮 の画期的基準

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟

 

 村上中正氏の1971年試論では、
 知恵を絞ったのであろう京都府教育委員会は、高校入学選抜制度にある「その他事項」
着目したようである。

 「その他事項」とは、「特別具申制度」とされ、いわゆる引っ越しする場合などなどやむを得ない事情を考慮する制度である。

 例えば、他府県から転居し、4月には京都府在住する予定の生徒や京都府下から京都市内への転居などなどやむを得ぬ事情があり4月以降に所在する公立高校への合否を決めることが出来るなどの「制度」である。

 

  公立高校入学試験に合格
   聴覚障害の生徒を受け入れる高校で合格

 

 京都府教育委員会は、この特別具申を聴覚障害であるとする証明で認め、高校入学試験に合格すれば、小学区制の地元の高校ではなく聴覚障害の生徒を受け入れる高校で合格とするように特別具申制度を活用したのである。

 

 聴覚障害であるとする証明は、身体障害者手帳を有するものや高度難聴でないと認めないというものではなく、当時として比較的「軽度な聴覚障害」とされたものも認めた。

 

  卒業数十年して障害者年金申請証明に特別具申制度
   障害年金受給が可能

 

 このことで、卒業数十年して障害者年金申請に関わる証明にこの特別具申制度が生かされ障害年金受給が可能になった人もいたとの記録がある。

 

 耳鼻科医の証明は、聴覚障害児の生活や生活環境を考慮されたもので、聴力検査の結果だけで判断することは極力排除されていた。

 

聴覚障害児の生活や生活環境を考慮

 

 教育の役割を充分理解した耳鼻科医が多かったこともあるが、耳鼻科医の組織が聴覚障害児の教育に協力したこともある。と書かれている。

 

 耳鼻科医の協力のもとに新たなる教育制度が考えられる。
 
 しかも入学基準に『聴覚障害であるとする証明は、身体障害者手帳を有するものや高度難聴でないと認めないというものではなく、当時として比較的「軽度な聴覚障害」とされた』と書かれていることを考えれば、聴力の状況だけで区別していた当時の聴覚障害児教育や教育分野では画期的な判断であったとも考えられる。

 

 杓子定規な解釈ではなく「聴覚障害児の生活や生活環境を考慮された」耳鼻科医の証明の添付だけでいいとする考えは、今日でも克服されていない問題を切り込んでいる。