communion of mind with mind
手話は日本で暮らす人々の言葉である、日本語である。即ち手話もかって日本語から除外されてきた歴史を訂正させて来たのである。日本語対応手話とか、日本手話とかを主張する人は、苦渋以上の苦悩の中で産み出されてきた手話を充分理解しているとは思えない。
とあえて書いてきたのは、手話を生み出した聞えない人々の人格や個性、その置かれた環境等々を否定してはならないという誡めでもあるという考えからである。
アメリカ手話とする考え
手話の多様性が消された歴史を打ち消していないか
日本手話とかを主張する人々の中には、アメリカ手話と同様にすることで手話への理解や認識を高めたり、権威付ける考えがあるともとれる部分がある。
だが、アメリカ手話と一括りにする人々は、かってアメリカにさまざまな手話表現があったことを「駆逐」されてきたことを消去しているのではないか。
アメリカの先住民や聞えない人々は多様な手話表現をしていたが、一部の人々がそれらを「動物手話」と決めつけ排除、駆逐してきた歴史を踏まえているとは思えない。
だだ、「動物手話」と決めつけ排除、駆逐してきた人々でさえ「動物手話」と「サインーアルファベット」を組み合わせて「アメリカ手話」と称している表現もある。
手話のひろがりをねがい 手話のできる人
手話通訳のできる人をもとめ続けてきた人が
甦っても「さっぱりわからない」
とにもかくにも1960年代以前に手話のひろがりをねがい、手話のできる人、手話通訳のできる人をもとめ続けてきたろうあ協会やろうあ者の人々は今はこの世にはほとんどいない。
たとえ、手話のひろがりをねがい、手話のできる人、手話通訳のできる人をもとめ続けてきた人が、甦って日本手話とか、日本語対応手話と言っている人々の手話を見ても、さっぱりわからない、という表情をするのではないかとさえ思える。
手話は、多彩で、個性的で、表現の知恵の塊である等々のコミュニケーションであって、日本に住む人びとによって創造されてきたものであると心に深く刻むべきだろう。
そこには、日本で話されていた「ことば」と異質なものではない。それらを包括したコミュニケーションの創造であると認識しなければならないだろう。