手話 と 手話通訳

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聴覚障害児者のエリート主義と教育観 教育の平等と人びとの平等

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            村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
 
 村上中正氏の1971年試論の探求は、インテグレーションと聴覚障害児のエリートの過程を次のように述べる。

 

学童期=小学校におけるエリートとなるための必須条件
   九歳の壁を乗りこえること

 

 聴覚障害児を幾層に渡って篩い分けるが、学童期の分岐点を九歳に置いていると考えられる。
 インテグレーションすることは、能力が高く、将来のエリートへの第一歩であり、九歳の壁を乗りこえることは、学童期=小学校におけるエリートとなるための必須条件であるとしている。
 そして、中学校、高校、大学、社会に参画することによってエリートとしての立場が確保出来るとする。

 

 だがしかし、エリートとなっても聴覚障害であることの条件は変わらないとするのである。

 

  聴覚障害児者のエリート主義と教育観の基底

 

 この根底にある聴覚障害児者のエリート主義と教育観が、存在するが、なぜかそのことは回避して論じられてきた。

 インテグレーション出来なかった子どもたちや「九歳の壁を乗りこえられなかった」子どもたちが、教育の「脱落者としての刻印」が密かに押されていたことを忘れてはいけないのである。

 

 「九歳の壁」は、聴覚障害児のことば獲得だけに留まって考察する出来ない。

 教育は、さまざまに解釈出来る。

 

 しかし、真の教育実践者は目の前の子どもの現在と未来を「解釈」や「仮定」だけですまさない。
 幼児教育から学童期、そこで思考を止めるのではなく、それ以降の思春期、青年期、成人期からの連続した思考で9歳の課題を捉えるべきであると村上中正氏は提起していた。


 その根底には、教育の平等と人びとの平等という前提がある。

 

エリートとなっても
 聴覚障害であることの条件は変わらない

 

  エリートとなっても聴覚障害であることの条件は変わらないとの指摘は思慮深い。

 

 このことは、現代社会においてタブーと決めつけられている領域であるかも知れない。

 

 諸文献に記されている聴覚障害者自身による体験的「持論」には、「脱落者としての刻印」が密かに押されては来なかった自身の体験を脱落させていることが少なくないだろうか。

 

 そのように考え、村上中正氏の論説に従い聴覚障害者自身による体験的「持論」と評価を付き合わせてみると、優秀な人間としての自尊心が垣間見れる部分も多い。

 

 「脱落者としての刻印」が密かに押されて来なかった自分を表出することなく、自分を聴覚障害者全体に置くことでエリートとして育った経歴を隠そうとする。

 

 隠そうとするところに自らのエリート意識を織り込んではいないだろうか。

 

聴覚障害者全体に
エリートとして育った経歴を隠そうとする

 

 人は、聴覚障害者が体験したことや体験から述べていると思い込んで、一定の批判的意見を持つ人々へ眉をひそめる。

 

 それは、ある意味公平な判断ではないとも言えるのではなかろうか。

 

 自分を聴覚障害者全体に置くことでエリートとして育った経歴を隠そうとする傾向には、聴覚障害者のみんなは、とか、私と聴覚障害者のみんなは、という個人と全体を表記することは希である。

 

 人は平等であるとするならば、聴覚障害者の人が言うから聴覚障害者すべての人々のことだという断定を消去すべきではないだろうか。

 

 この重要な分岐点が、インテグレーションによっても引き起こされたことに対して村上中正氏は人間性に溢れた思いを記しているのではないか。