村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
特別支援教育でぬり染められるかの事態
2001年から2006年頃にかけて文部科学省の特別支援教育を「特殊教育から特別支援教育の発展」として過大に評価した人々が立ち現れ、特別支援教育でぬり染められるかの事態がすすんできた。
特別支援教育は、先に述べた特殊教育と英語訳ではほとんど変わらず、国内では「特別支援教育」としながら対外的には特殊教育として対応するなどのことが平然とおこなわれていた。
免罪した
文部科学行政や各都道府県の教育行政責任
特殊教育という概念を内実あるものにしないで普通教育より数段低位な教育としてきた文部科学行政や各都道府県の教育行政の責任は反故にされ、名称だけが先行した。
約20年を経過した今日、英語訳で一定の手直しはされているが、さまざまに解釈され、マニュアル化された特別支援教育の基礎となる教育条件は充分整備されたと言えるだろうか。
特別支援教育をすすめる側に、さまざまな「指導」や「解釈」が飛び交い押しつけられ教師たちは齟齬を感じてはいないだろうか。
特殊教育空洞化に
障害児教育を対峙させた人々の大努力は
低位に置かれた特殊教育を人間の教育を受ける権利の平等から改善、改革する動きはあった。
だが、その歴史的経緯と苦悩に満ちた努力は蔑ろにされてはいないだろうか。
そのように考えたときに、村上中正氏らは、特殊教育を空洞化している現実に障害児教育を対峙させることで教育の内実を豊かにしようとしていたようである。
留意点として、以下の引用にある「障害者の権利を主体とした発達保障」「科学技術の進歩にともなう聴覚保障」を挙げておきたい。
「特殊教育」から「障害児教育」への
実際的提起と改革と取り組み
村上中正氏の1971年試論は、
「特殊教育」から「障害児教育」へ
1,民主主義的な教育運動の歩みの中で、聴覚障害者教育の特徴的なとりくみは、一つは「特殊教育」から「障害児教育」への発展ーつまり障害者の権利を主体とした発達保障の立場。
2,いま一つは、科学技術の進歩にともなう聴覚保障の課題の前進である。
3,これら二つの課題の結合と、聴覚障害者集団の要求や運動が深くかかわっていくことによって、いっそう発展していくであろう。
4,この取り組みの具体的展開については、現在全般的には試行錯誤の段階であり流動的である。
実践をさまざまな面から、逐次総括していくことによって、国民の立場からの新たな先導的な役割を果たすことができるであろう。と提起と問題を投げかけている。と書かれている。
以降、この部分が試論として展開されるが。