村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の1971年試論を
村上中正氏はろう学校とか難聴学級とかの教育形態にたいする教育形態論ではなく、難聴者とろう者、ろうあ者をも包括して社会の中で学び、生きることを思考したのであろうと書いた。
さらに、難聴学級は、聾学校教育の歴史的教訓として発展分化したものではなく「難聴」を聴覚障害者集団からひき離す道をたどるおそれをもつものであった、と断定する、とも。
これらのことについて、今日の教育の中で論じられることは極めて少ない。
集団と述べれば、個人を「圧殺」「没個性」にさせることと捉えられがちであるが。
聴覚障害者個人の論評
無批判的に安易に受け入る
それに反して、聴覚障害者の個人の意見を聴覚障害者全体の意見であるかのようにとらえる傾向は、年々強まっているのではないか。
さらに、聴覚障害者個人が論評を発表すれば、それを無批判的に安易に受け入れ、聴覚障害者の人が云々と伝播させる。
言うところの「孫引き」の「孫引き」がどんどんと拡大して、もとの「孫引き」さえ解らなくなっている。
ひとりと人間関係の論理の欠如
ひとりと関わる多くの人々、さらに社会関係などなどが、把握されていないのではないか。
村上中正氏は聴覚障害者と人々との関連、社会との関連などの連関関係の中で教育を捉え、インデグレーションの問題点を解消しようとしたようである。
(参考)第4回ユネスコ国際成人教育会議(パリ)の宣言(1985.3.29)
学習権とは、 ‥‥‥個人的・集団的力量を発達させる権利である。