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村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
さらに、村上中正氏の1971年試論では、
5、村上中正氏は、集団をさまざまに捉え、大きな集団や小さな集団や集団の中の集団も考えその相互関連の中で考えたようである。
手話サークルみみずく会集団の中に手話通訳団をつくることを提案。
聴覚障害集団を考えた中に当時のろうあ協会や難聴協会や中失聴者団体など聴覚障害者関連団体をも捉えていたようである。単純化して区分化しないで双方向から集団を捉えていく手法は、かなり難解である。
それぞれの集まりには特徴があり
それを生かしてこそ発展方向がある
手話サークルみみずく会集団の中の手話通訳団の運営には多数決に寄らない徹底した討論を前提に基礎、基本でまとまるが、そのことを決して強要しない。
それぞれの集団には、それぞれの集団が持つ特徴があり、それを生かしてこそそれぞれの集団の発展方向があると思考したのだろうか。
「ろう学校から来た」と差別されて
なじめないでいるが
次に村上中正氏は、「高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と「難聴学級」をめぐっての試論」(1971年)で、ろう学校から難聴学級へ移籍した生徒たちを詳しく捉えようとしている。
1968年3月、ろう学校中学部一年から新開設された二条中学校難聴学級一年に転校(移籍)した三人の聴覚障害の生徒のことなどなど主として次のように述べている。
・「聾学校から来た」と差別されて、なじめない。
・(ろう学校で教育課程をすべて受けていないので)学習は困難でついていけない。
・「ろう学校へ戻る」ことばかり考える時期が続いていたた。
教育委員会「大きな声でゆっくり話せばわかる」
・一方、京都市教育委員会は、「大きな声でゆっくり話せばわかる」という説明だけで担当教師を配置した。
・ろう学校から難聴学級に行った生徒は、「クラブ活動では皆から差別されて不愉快」という不満をもちながらも「ぼくは聾学校の仲間のためにも、この学校で頑張るのだ」という自覚をもち始めた。
ろう学校の課題として銘記
「基本的生活習慣、学習習慣の明らかな欠除」
・中学校の難聴学級担当者が最も強く感じたことは「聾学校から来た生徒の特徴は、基本的生活習慣、学習習慣の明らかな欠除」であったことは、聾学校の課題として銘記しなければならない。
と述べている。
ろう学校や難聴学級の違いや問題をことさら拡大して取りあげるのではなく、それぞれの感じたことを列挙して「聾学校から来た生徒の特徴は、基本的生活習慣、学習習慣の明らかな欠除」であったことは、「聾学校の課題として銘記」とする。
先に述べた「意見の中にある基本を把握して、それを提案して、みんなを気づかせて、まとまるよう」しているのではないかと考える。
と書かれている。
問題の深層を図り
得られる教訓を現行教育に活かす
以上のことを表面的に読むなら誤解や偏見差別があると断定されそうであるが、当時の村上中正氏は問題の深層を図ろうとしたようである。そこから得られる教訓を現行教育におかそうとしたとも考えられる。
難聴学級の生徒は、もともとろう学校幼稚部にいた生徒である。
その生徒が普通小学校の難聴学級、普通中学校の難聴学級と学ぶ中で「ろう学校」を肯定せずろう学校から転校してきた生徒を「排除」しているかに見える状況。
またろう学校から転校した生徒が、同一課程の学習についていけずにいる。
それらの「意見の中にある基本」を見抜かずして、今の教育やこれからの教育は考えられないと村上中正氏は考えたようである。