村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟
村上中正氏の1971年試論を考え、留意点として、以下の引用にある「障害者の権利を主体とした発達保障」「科学技術の進歩にともなう聴覚保障」を挙げておきたい、と述べてきた。
教育における権利と発達保障
聴覚保障と科学技術の進歩
この権利と発達保障、聴覚保障と科学技術の進歩などを1971年当時受け入れられたかどうかの疑問があった。
近年、権利と発達保障の関係で論じる人は極めて少ない。
かって盛んにこれらの用語を山盛りのごとく使って表現していた研究者が、理由なく権利と発達保障の用語を消滅させている。そればかりか真逆の用語を使いはじめて悦に入って人もいる。
権利ということば
使わない背景にあるもの
権利ということばが使われなくなった背景には、教育と権利が相対する関係にあるとしているのだろうか。それとも権利を封印することで基本的人権などの権利を否定しているのだろうか。
発達保障についても同様ではなかろうか。
ごく一部の研究者は発達保障について自認する人々がよく使っているが、その内容は村上中正氏らが共同研究していたある研究者の考えを引用するだけで踏襲していないようにも思われる。
学習権を承認するか否かは人類にとって
これまでにもまして重要な課題
学習権なくしては人間的発達はありえない
村上中正氏らが、1970年を前にして提起したことと教育の関係については、その後ユネスコが明確に「追認」していたともとれる重要な提起だった。
ユネスコ「学習権宣言」1985年~ は、
学習権を承認するか否かは、人類にとって、これまでにもまして重要な課題となっている。
学習権とは、
読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である。
学習権なくしては、人間的発達はありえない。
と宣言している。
国際的にを云々する人の多くは、この宣言を重視してはいないのではないか。