手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2022-01-01から1年間の記事一覧

インクルージョン・インクルーシブ教育と山城高等学校の教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 日本の教育や聴覚障害者教育に新たな1ページ 村上中正氏の…

山城高等学校における聴覚障害の生徒を包括した教育は教訓に富む 一部の保護者から、「手話」について異議

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 労働で学んだことが夜高等学校で学ぶことで連結する しかし…

教育が「働く」ことに従属することのない教育 山城高等学校 夜間課程

村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 夜間定時制課程における教育と聴覚障害者教育 村上中正氏は「試論」の最後に山城高等学校の定時制課程に付い…

山城高等学校用創造的集団補聴器 次々と改良 健聴生徒と聴覚障害生徒が学べるために

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 京都府がオーダーメイド「可搬型集団補聴器」作成 高等教育…

日本初 1971年 京都府立山城高等学校では聴覚障害の生徒を教育制度的受け入れ

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 配慮しつつも平等な入学試験 1971年。京都の京都府立山城高…

ひとみ みのる氏も聴覚障害の生徒と同じ学び舎で学びはじめた 1971年4月 

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟村上中正氏の「聴覚障害者の全面発達をめざす教育保障ー高等学校における聴覚障害生徒の教育保障と難聴学級をめぐっての試論ー」(1971年)の探求 ひとみ みのる・人見実氏も 聴覚障害の生徒と同じ学び舎で…

部落差別、結婚差別、ろうあ者差別が織り籠められた大問題にろうあ協会取り組む

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 京都ろう学校高等部の授業拒否事件から4年後、1969年に結婚を誓い合ったろう学校の卒業生が、親の大反対を受ける。 それまで、好意的であった親が大反対した訳を調べた友人たちとろう学校の教師がその理由…

ろう学校教師 卒業生の結婚相談・仲人などで高額謝礼を受け取るが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 京都ろう学校高等部授業拒否事件。 当時のろう学校校長は、同和教育に熱心に取り組み、管理職になったと言う人が多い。 校長は、すべての問題を差別として片付けていたようである、これに京都府教育委員会…

手話 差別 籠められた人間平等とそれを共に実現する思い 人間連帯と分断の違い

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 平等の手話 京都の手話で、平等は「左右の手のひらを胸の前で平らにそえて(合わせて、そこから)手の平を左右に広げていく」とのこと。 もちろん、併せて他にも平等・平和などの手話の意味合いもあった。 …

なぜ差別だったのか 原因はどこにあったのかを追求しなかった京都ろう学校授業拒否事件

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校の手話に対する差別事件でなかった 京都ろう学校授業拒否事件 村上中正氏の記録資料を読むと次のようなことを考えていたようなので紹介したい。 まず、京都ろう学校授業拒否事件。 今日では、広く…

聴覚障害差別、障害者差別と平等と「差別論」「矛盾と闘う」

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、村上中正氏は、この記述から論旨不明になるが、以降に述べる同和教育の「差別論」「矛盾と闘う」の影響とそれを導入することで考えて見ればそれなりに理解も出来る。 だが、そ…

聴覚障害者だけの保障なのか みんなの保障なのか みんなの保障のなかに聴覚障害者もいるのか 空論でなく具体的展開

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 高等学校選抜試験・高等学校の普通科や商業科等、高等学校にある全日制と定時制など。 その評価などをめぐって差別や選別の矛盾がある。 村上中正氏の「対案」は、聴覚障害者の教育保障が 「高校生の中に一…

京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に関わる諸費用 京都府・京都府議会は国庫補助が全くなくても承認

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 1971年の前年。 京都府議会は、全会一致で京都府立山城高等学校の聴覚障害教育に関わる諸費用を承認したとされている。 国庫補助が全くなく京都府独自に予算を組む。 当時、独自予算を都道府県が組むと…

聴覚障害児⇔聞える生徒たち という単純図式で思考しない教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 多くの人々の中で、学び合い、育ち合うという教育原理が、「教える」ことの強調で、「教える」「教えられる」との関係で教育が評論されていないだろうか。 聴覚障害者のインテグレーションについて考察した…

「合理的配慮」の先行 聴覚障害生徒の学校教育における 「配慮と排除」の違い 思いやりと「甘やかし」の違い

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 以下の論述を思考すると、「配慮と排除」の違い・思いやりと「甘やかし」などの問題を根本的に考えるべきことが想起される。 聴覚障害児者に対する「理解」が論じられる場合、その多くは配慮という名の基に…

京都ろう学校 の3倍以上の生徒が普通校で学んでいた事実と ろう学校高等部 の 職業学科 への固執

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校高等部の職業学科に 対する答えは出されていた 「1971年当時の聴覚障害児は、ろう学校在籍生徒の3倍以上が普通校に在籍。公立高等学校・私立高等学校では十数人以上の聴覚障害の生徒が在籍し…

高等学校に難聴学級をつくるかどうか 公立高校では聴覚障害生徒は入学しているが

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、さて、難聴学級から山城高等学校に入窮してきた生徒へ「今までになし得なかった聴覚機能のリハビリテーション《機能訓練とそれにかかわる発達権の保障〉を個々の必要に応じて…

聴覚障害生徒を順序付け 普通学校 難聴学級 ろう学校で学ぶことで

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 1960年代後半から1970年代にかけて京都でろう教育と難聴教育との間で「陰に陽に対立」が生じていたようである。 そして、普通学校で学ぶ、難聴学級で学ぶ、ろう学校で学ぶことで聴覚障害生徒の評価が順序付…

聞えない自分たちを産んだ親を恨んだ が 自分の子どもも自分たちを恨むようになるのでは

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論の子どもの声が聞きたいという「全聾」とされている親の要求に応える、部分について当時の記録や証言から具体的意味するものを考えてみた。 村上中正氏が、成人した聴覚障害者の人々…

「全聾」とされている親が 子どもの声が聞きたい 「無理」 とする既存の固定的考えに 聴覚保障 で挑戦する教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、聴覚障害者教育について村上中正氏は、次のような持論を展開する。 聞く、聞こえない、聴きたい、聴こえない あきらめ 当然 それを否定 ・聴覚障害者の教育保障を考える場合、…

国際動向もすべての子どもに教育を すべての人々に高校入学を だが批判集中 

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 高校教育制度の改変をめざして 村上中正氏の1971年試論では、 山城高校での聴覚障害者の教育保障、という新しい高校教育制度から高校教育そのものの改変を示唆しているのだが、この部分は充分説明し切れて…

聴覚障害者教育と「差別や選別」の教育が「解消」される教育

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 山城高等学校での聴覚障害者の教育保障は 聴覚障害者にたいする後期中等教育保障の第一歩として村上中正氏は、「山城高等学校での聴覚障害者の教育保障」は、 ・聴覚障害者に…

インデグレーション と異なる教育を考えたあげく教育実践と教育理論に矛盾

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 「聾学校の課題として健聴者集団とふれ合いながら学習する聴覚障害者集団の教育環境に、徐々にあるいは根本的につくり変えていく」ことが、ろう学校の課題とする。 試論(上…

京都府立山城高等学校における聴覚障害者の教育保障のとりくみの思考

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 繰り返すことになるが、村上中正氏は、試論の(上)で、 健聴者集団の中での聴覚障害者の教育とその保障は、それがたとえ過渡的なもので個々のケースとして起こってきたもの…

新しいろう学校の教育を示唆 京都北部ろう学校分校「共同教育」

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校を「一つの固定集団」として 考えるろう学校教師の弱さか 村上中正氏の1971年試論では、 だが、ろう学校を「一つの固定集団」として捉えただけで、ろう学校に存在する「質的に違った集団」の存在を…

ろう学校の方向 田中昌人氏の考えから再検討か

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 村上中正氏は、ろう学校を「一つの固定されたろう学校」を「一つの固定集団」の枠の中だけで、真の発達が保障できるかと問題と疑問を出す。 そして「一つの固定的集団」の枠…

小中高等学校とひとしい教育がなされていないろう学校

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 科学的に検証されていない「口話法」 無原則な「訓練」と教育の遅れと疎外 村上中正氏の1971年試論では、 「能力別」学級編成の形態、科学的に検証されていない「口話法による言語指導体系」、無原則に割り…

「インテグレーション」「普通児とともに教育を受ける」ということばを拡げていくことは正しくない「インテグレーション」「普通児とともに教育を受ける」ということばを安易に使い拡げていくことは正しくない

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 ろう学校という固定的な枠の中だけで 真の発達が保障できるか 村上中正氏の1971年試論では、 ・提起したいのは、一つの固定的集団ーつまり聾学校という固定的な枠の中だけで、真の発達が保障できるかという…

口話法による言語指導は生徒集団を分裂し孤立させる

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 口話法による言語指導体系が 科学的に検証され発展させられていない 村上中正氏の1971年試論では、 村上中正氏は、1970年前後のろう学校の教育を主に次のように述べている。 ・聾学校におおく見られる…

ろう学校教育の「九歳の壁」に対峙「豊かな無限の発達」

村上中正氏の聴覚障害者教育試論 1971年を思惟 村上中正氏の1971年試論では、 以下村上中正氏の「試論」を掘り下げるために田中昌人氏が提起したことと関連付けて考察したい。 1967年、村上中正氏らが中心になって開いた集会で田中昌人氏は、次のような…